日記、批評

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フィリップ・コーナー "On tape from the Judson years"

 フルクサスの作家、フィリップ・コーナーによる60年代の舞台音楽を集めたCD。デイヴィッド・バーマンやロバート・アシュレイの驚異的な初期作品を発掘しつつ、マウリツィオ・ビアンキのリミックス盤をリリースし続けるという荒技レーベル、alga marghen から。フルクサスの作家の中でもその掴まえどころのなさで実にフルクサス的に思えるコーナーの近作は同じレーベルからCD-Rでもリリースされていて、それはクラシックが遠くで流れる庭でときどき物音が入るだけのよく分からない素晴らしい作品だった。さて、このCDはタイトルに示されているように、いわゆるジャドソン教会派と呼ばれるダンサー達のために作られたテープ音楽が中心で、ルシンダ・チャイルズ、イヴォンヌ・レイナー、トリシャ・ブラウンやリヴィング・シアターといった当時の最も先鋭的な舞台芸術家と彼との交流を示すものである。チープなテープ・レコーダーで採集、編集されたコラージュが中心で、歪みまくりのミュージック・コンクレートやカットアップされる物音、重層的な音楽コラージュなど、響きはさまざまだが、何をやっても軽さとユーモアを決して忘れないあたり極めて魅力的。でやはり気になるのは、この音楽にどのようにダンスが対峙したのか、なのだが、残念ながらそれは分からない。当時のジャドソン派の映像はいくつか見たことがあるが(トリシャ・ブラウンのソロは最高!)、ほとんどが無音で、果たして音とどういう関係をとっていたのかは知ることができなかった。
 実をいえばこのCDをとりあげたのはジャドソン派について書きたかったということもあって、ジャドソン派はN.Y.のジャドソン教会を拠点にカニングハムやアン・ハルプリンの弟子筋が中心になって、ダンスを徹底的に革新した連中なのだが、例えばイサドラ・ダンカンの場合のようにダンスの革新が特に女性による場合、バレエの形式性に対する、個人性、内面性による挑戦というスタイルをとりがちだったのに対して、伝統的な身振りの技法をとりあえず拒否し、即興を導入しつつも、身振りを生成するための方法論、そして形式性の再獲得を含んでいた意味で、ジャドソン派の作業は重要である。カニングハムが結局はバレエの技法を捨てきれず、また個人的な恣意性として即興を廃したの対して、これは大きな前進であった。あるいはケージが即興と偶然性を峻別したことによって、主観的表現としての即興と客観的表現としての作曲の2元論が、結局は80年代まで続いてしまったことを考えれば、即興と客観性を接続しえたジャドソン派のダンスは音楽より15年は進んでいたといえる。当時のトリシャ・ブラウンのノートにはシステマティックな即興の方法が記されている。
 単純に言っても彼女たちの、舞台照明を廃したり、普段着での公演といった清々しさは、ダンス作品をつくることを、ばかでかい音で音響を流して照明、衣装に凝りまくることと勘違いしている、今の日本のコンテンポラリー・ダンスの困った人達にも是非見て欲しいのだが、やはり映像で見ることはなかなかできない。彼女たちの近作もそれなりに面白いが、この時期の初々しさはやはり貴重。というわけでとりあえず音だけでも聞けることになったことを喜びましょう。(2001年6月)
Philip Corner "On tape from the Judson years"(plana-C 4NMN.019)

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ゲルハルト・リヒター「アトラス」川口記念美術館(2001.3/31-5/27)

 間違いなく現代の最も重要な美術家であるゲルハルト・リヒターの個展。絵画作品10点と、大量の写真を中心に構成された大作「アトラス」が展示されている。ヨーロッパの美術館には必ず数点の作品が展示されている「有名人」でありながら日本ではほとんど見る機会のなかったこの作家が本格的に紹介されるのはともかく快挙である。
 リヒターは無節操と思えるほどさまざまなスタイルを並行して用いる作家である。ハイパー・リアリストであったり抽象画家であったりミニマリストであったり、一見この作家は何をしたいのかと首を傾げることになるが、しかしそれらの作品のもとになった「アトラス」の写真群を見ると、全てが複製技術と視覚を巡る思考に集約されることが理解される。単一の主題から出発してさまざまなスタイルを併用する姿勢は、なんといっても出発点の確かさを例証する。決して禁欲主義に陥ることなく同心円を描くように多彩な作品を生み出すやり方は、コンセプチュアル・アートの極点であると同時にそこから限りなく遠い(小声で言うと私の活動はこの意味でリヒターに非常に近い位置にあると自分では考えている。誰もそんなこと言わないけど)。風景から友人、家族、コマーシャル・フォト、ホロコーストから絵画それ自体に至る膨大な対象を収めた写真群は、全てが写真という表象を維持しながらも、対象から喚起される社会性、政治性、私性のいずれをも拒否しないのである。作品はコンセプトから産み出されながら作品自体はコンセプトだけに還元することはできない、このイメージの悪意に満ちた戦略こそがリヒターの真骨頂であろう。悪意ということで思い出したが例えば作品「鏡」はカラー・フィールド・ペインティングをガラス板で覆い「鏡」と名づけることで、美術館でガラスで覆われた作品をガラスの反射越しに見るという不可解な展示方式のいらただしさ逆手にとる。まあそれは置いておいて展示にひとこと。「アトラス」はそのような創作のプロセスを明るみに出すが、しかしそれはあくまでネタあかしの習作群と位置づけられるものであり、日本初の本格個展を謳った展覧会としては、むしろ「アトラス」から派生した作品群の紹介が十全になされていないという印象が拭いがたい。作品以前のプロセスだけを見せられたのでは隔靴掻痒、やっぱりこの国会議事堂はどうなったの?とか思っちゃうでしょ。(2001年3月31日〜5月27日 川村記念美術館)

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フィリップ・グラス/初期鍵盤作品集(ステファン・シュライエルマッハー)

 もはやヒューマン系交響作家に大成し、クラシック・ファンにすら見放されつつあるフィリップ・グラスの初期作品集。1979年のMad Rushを除けば、60年代末の漸次加算を構成原理とした過激なまでに退屈な作品が収められている。一貫したスタイルを発展させるタイプの作家の場合、そのスタイルを獲得した時点の作品が面白いというのは良くみられる例だが、グラスも例外ではない。それでも非常に優れた舞台作品である「浜辺のアインシュタイン」のような中期の作品にみられる色彩感やドラマ性を持たず、コンセプトを剥き出しにした初期作品のラディカルさは衝撃的である。単純な構成原理を定め、そのプロセスをひたすら進行させるだけのこれらの作品は、同時期の美術におけるミニマル・アートの正確な同等物である。実際、ミニマル・アートとこれほど近い音楽は他にない。いわゆるミニマル・ミュージック4人衆をみても、ライヒの初期作品の関心は反復とずれによる音響の面白さでオプティカル・アートにより近いし、ライリーは後年、純正調に傾斜することからも分かるように身体感覚と響きとの関係性に関心が向かっていた。ヤングは単音/単一の素材しか用いない点でミニマル・アートに近いがその没入感はむしろ一世代前のカラー・フィールド・ペインティング(バーネット・ニューマンでも想起して欲しい)を思わせる。グラスのこれらの作品の場合、他の3人に見られる現象面での快楽を厳格に禁じている点で音楽が達しうる極限的な概念性を獲得しているといえるだろう。
 しかしそれにしてもグラスの大がかりで凡庸な近作がいちいち鳴り物入りで演奏/レコーディングされるのにくらべ、これらの初期作品がほとんど演奏される機会を持たないのはどうしたことだろうか。その意味でもここではオルガンを弾いているピアニスト、ステファン・シュライエルマッハーの快挙を讃えたい。彼がステファン・ヴォルペの小品を鮮烈に演奏した来日時のコンサートを思い出す。しかし演奏にテクニックを必要とせず、忍耐強い熱意だけを要求するこれらの作品は、演奏に立ち会う聴衆にも熱意と忍耐を求めるはずで、ミニマルという体裁に関わらず、あるいはそれ故に、コンサートという場では極めて演劇的な体験となるに違いない。私はヤングの「ヘンリー・フリントのための566」を演奏した際にも強くこのことを感じたが、その体験はドナルド・ジャッドを「演劇的」と論じたマイケル・フリードの議論とどこかで交わるのではなかろうか。まあ音楽業界では無理としてどこかの勇気ある美術館の学芸員さん、コンサートを企画しませんか?(2001年5月)
Philip Glass / Early Keybord Music (Steffen Schleiermacher)MDG 613 1027-2

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2000年3月 「サウンド・アート」展

   おそらくこの展覧会の主旨の混乱と適切さは「サウンド・アート」に添えられた2つの副題、「音というメディア」と「サウンドの快楽」に現れている。いうまでもなく音をメディアとして扱うことと音に快楽を見出すことには何の関係もない、どころかほとんど矛盾している。にもかかわらず、ここの提出された作品の多くはこのような矛盾の上に成り立っており、このような一群の作家を指す上では適切なのである。
 これらのいわゆるテクノ系、音響系と称しうる、「サウンド・アート」の作家に共通するのは実のところある種の神秘主義である。音楽との断絶を強調する企画者の立場にも関わらず、神秘との関わりにおいて、古典的な音楽それも西洋的な受容システムを前提とする「音楽」の機能とさして変わらないのは皮肉である。一応、注意しておかなければならないのはその神秘主義がいわゆる神秘主義とはその現象において大きく異なっていることである。クリストフ・シャルル、ブランドン・ラベル、デイヴィッド・トゥープ+マックス・イーストレイに見られる、神秘的なテクストへの参照を持った作品はその実、その作品の非自律性において非神秘主義的であり、カールステン・ニコライ、角田俊也に見られる極度の唯物主義の方が結果的には神秘主義的なのである。後者はメディアの透明化、世界自体との直接の関わりを仮定するその姿勢において神秘主義的なのだ。そして全体に見られる禁欲主義の傾向、にもかかわらずある種の良い趣味に統一されているに過ぎない身振りは同時代的な感性の共有にすぎない反動性をも帯びているのである。それはまた「サウンド・アート」の先駆者、つまり真の意味で音をメディアとして扱った人々、アルヴィン・ルシエやテリー・フォックス、パウル・パンフュイゼンらの文脈を消去し、歴史的連続性を意図的に抹殺する反歴史主義にもつながっているのであろう。
 音は単なる物理現象に過ぎないが、音自体の知覚など虚妄にすぎない。(2000年1月28日〜3月12日 ICC)

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テレビで音楽劇を見ました

 この年末年始に去年、日本で上演された音楽劇を2つ、テレビで見る機会があった。勿論テレビで観たのでは分からないことも多いのだろうけど、いくつか思ったこと。
 まず一つは坂本龍一のオペラ「Life」(99年12月29日テレビ朝日)。朝日新聞の120周年(だったかな)記念のオペラで前評判が派手だったわりに、終わった後、全然話を聞かなくなったやつである。最近、日本のオリジナルオペラというのはいくつかあって、誰かさんの「モモ」とか誰かさんの「沈黙」とか誰かさんの「忠臣蔵」などなど、だいたいテレビで目にしているのだが30分以上観れたものではなかった。オペラを作るとなると100年前のヨーロッパ文化への劣等感が剥きだしなってしまう「現代音楽作曲家」によるこれらと違って「Life」はさすがに坂本に浅田彰が噛んでいるだけあってまあ最後まで観ることができる代物だった。「オペラ」をメディアの集積とみなすこの作品はベルクの「ルル」、ロバート・ウィルソン/フィリップ・グラスの「浜辺のアインシュタイン」の系譜に連なる、20世紀オペラのある意味「正統」である。
 「20世紀の歴史を総括する」と坂本が述べるこのオペラ。さまざま声、映像の集積でなりたっているのだが、観るに耐えたのは正直、引用される言葉、歌の面白さのお陰だったと思う。いかにも坂本らしく知的な意匠が散りばめられ、秀逸なアイデアも散見されるのだが、いかんせんオリジナルの部分がつまらない。オリジナルといっても坂本の音楽は今世紀のオーケストラ音楽の技法の一聴してそれと分かる引用でできており、それらをアンビエント風の音響と絡めていくあたり、優れたテクニックではある。しかし彼にとって使い慣れないオケというメディアを何故使う必要があったのだろう。しかも音楽史をアンビエント化すると結局、後期ロマン派の響きに落ち着いてしまうのはなんとも皮肉。世界各地の優れた歌(沖縄民謡、オルティンドゥー、ユッスー・ンドゥールなどなど)をオケの柔らかな響きで包み込み最後にワーグナー風に落ちを付けられ、しかも「共生」が同時に語られるとなると、これはもうソフトで脆弱な疑似ファシズムでしかなく、例えばYMOのころの坂本のハードなファシズムと比較して音楽の衰弱は隠しようがない。音楽として面白かったのは竹の連打からブーレーズ風の弦楽四重奏を経てお得意のミニマル風にいたる部分くらいだろうか。
 筋がないぶん抽象を音楽という抽象で語ろうとし、象徴主義に陥るというのは、いかにもありそうな話だが、坂本や浅田がこんな間違いを犯すなんて不思議な気がする。生命の進化という具体的な事柄を抽象イメージの羅列でごまかす部分などやる気がないとしか思えない。結局、埴谷雄高、ローリー・アンダーソン、ロバート・ウィルソンの「言葉」のほうがはるかに面白かったし、冒頭に引用された「月世界旅行」、「ヴェクサシオン」の強度もユーモアもなかった。だいたいオペラなんてヨーロッパでは優れた演出家の仕事場なのだから、こんな稚拙な演出では話にならない。どうせならウィルソンでも呼べば良かったんじゃないの。
 ところでこの「共生」なんていうテーマ、本気なのだろうか。なんで坂本龍一や朝日新聞に20世紀を総括され説教されなきゃならんのだ、という疑問はいいとしてもさ。

 で、もうひとつはタン・ドゥンによる「門」(00年1月9日NHK)。「オーケストラル・シアター」と名付けられ、指揮者とオケ、三人のパフォーマー、映像による一種の音楽劇である。指揮者(シャルル・デュトワ、芸達者なんですね)が狂言回しになって、京劇役者、人形使い、ソプラノ歌手が各々「虞美人」、「心中天網島」、「ロミオとジュリエット」を演じ、彼女らの再生の儀式を行うというのが大体の筋。オケは基本的に背景での伴奏である。ソプラノ歌手は知らない人だが史敏や辻村寿三郎が演じているのだから、これはもう面白くないわけがない。オーケストラも現代音楽の既成技法を駆使しつつもアジア風の書法で盛り立てる。古今東西の「愛と死の物語」を美味しいとこ取りしただけと言えばそれだけで、所詮安易なグローバリズムだという批判はあることだろうし、それはそれでまさに正しいのだが、タンはたかが音楽だから感動させればそれで勝ちと言っているようだ。考えてみればオペラだってそもそもそんなもの。これはまるでモダニズムなんて存在しなかったような芸術だが、結局芸術の理念なんかに思い悩むのは、勝手に近代人だと自己規定している連中の自意識過剰に過ぎないのかもしれない。オーケストラが近代西洋の産物だからといって、オーケストラ音楽が没落する近代知性と心中する必要がないのは明らかで、別の使い方を考えた方が未来にとっても有意義だ。でも、もしかしてこれって、「現代音楽」が商品になった、というだけのことかもしれないけどね。

 と、ここまで書いて、アップロードする暇がなくて放っておいたら、その間に細川俊夫作曲、鈴木忠志演出の「リア王」(2月初めNHK芸術劇場)を見た。見たといっても最初の30分位眺めただけだが。勿論、どうしようもない代物で坂本のほうがよっぽどましだった。こんな作品がでかい顔してまかり通っているのが胸糞悪いのでちょっと書く。最初に書いた細川の一世代上の現代音楽作曲家のオペラと唯一違うところがあるとすれば、ヨーロッパがコンプレックスの対象ではなく、技術の対象として完全に自家薬籠のものになっているという点。その上で、日本風なニュアンスを適切に付け加えることに成功している。でもこれは日本人もヨーロッパ文化をちゃんと理解できるようになりました。ぱちぱち。というだけの話で人に見せるものじゃないだろう。鈴木は私はあんまり評価しないが、日本を代表する演出家であることを認めるのはやぶさかではない。それがこんなことやっててはあかんですよ。ヨーロッパでは高く評価されたそうだが、二人の日本風味(その過程は随分違うが)がそこそこ受けて、文化的に遅れているはずの日本人の学習成果に、ブルジョワ気取りのあほなヨーロッパ人が驚いたというとこでしょう。だいたい「リア王」なんて発想が貧困だよね。初演、委嘱はドイツだったと思うが、どうせやるなら井上ひさしでもやれ。あー、早く馬鹿は消えて欲しいものです。

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1999年11月18日 第10回韓日ダンスフェスティバル ウエストエンド・スタジオ

 VARIOUS ARTS UNIT の主催による第10回韓日ダンスフェスティバルの第3日目に行った。韓国と日本のダンサー/パフォーマーが作品を出し合って両国で公演するというもの。第3日目の出演者は黒沢美香、ナム・スジョン、余越保子、キム・ヘスクの4人。
 黒沢美香は言うまでもなく、現在最も優れた仕事をしているダンサーの1人であるが、今回もその本領は如何なく発揮されていたように思う。タガが外れたような導入から、中盤以降のほとんど動きのない部分まで、身振りの生成/解体作業を身一つでやってのける技術とバランス感覚には脱帽。
 余越保子はニューヨーク在住のダンサー。噂は聞いていたが見るのは初めて。「ポストモダンダンス」と銘うつ通り、ジャドスン派以降のサンプリングダンスとでも言うべき流れの典型といってもよいだろう。音声(ニュース、語学教材など)との連動から占いまでを羅列し、エンターテイメント性も充分に持った作品で、いかにも80年代以降のニューヨークといった印象を受ける。加えて意識的かは分からないが政治的なニュアンスすら連想させて、表層的なサンプリングでは済まないアクを感じさせる作品だった。方法は単純明快でそこには何の神秘もないが、その実「動き」の根源的な「神秘」を垣間みせたと言ったら誉め過ぎだろうか。ただしいわゆる「ポストモダン」に対する反動を乗り切るだけの強度を持っているかどうかの判断は留保が必要かもしれない。
 この日、登場した4人は全て女性だが、日本の2人は自らの性に頓着している素振りも見せていなかった。それに対して韓国の2人は、ナム・スジョンは自然としての性、キム・ヘスクはジェンダーとしての性という違いはあるものの表現の主題を女性であることに置いていたようだ。ナム・スジョンはおそらくは韓国の伝統的な舞踏の技法によるもので、表現自体は決して新しくないが、例えば日舞の現代的表現といったものが想像がつかないことを考えるとそれなりに新鮮ではあった。キム・ヘスクはモダンな非常に高い技術を持っているのだが、身振りが意味付けされているのがなんとも惜しい。なにぶん黒沢、余越のレベルがあまりに高かったために影が薄くなってしまった面もあるかもしれないが。
 全4日もあるこの企画。とても意義のあることだと思う。しかしこれだけ長いのだから互いに作品を持ち寄るだけでなくコラボレーションの1つもあるともっと興味深いことになったのでは。

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1999年11月17日 「天皇と接吻」 燐光群  於スズナリ

 何をおいてもこの様な演劇は支持されなければならない。
 戦争直後に新しい映画の理想に燃えそして挫折した、岩崎昶や亀井文夫、その他無名の人々への温かくも悔恨に満ちた眼差し。戦後民主主義者も昨今の歴史修正主義者も注視してこなかった戦前/戦後の「間」の結節点をそ上に載せ、もうひとつの転換がそこにあったことを明らかににすることは、まさに現在進行しつつある転換を直視することに他ならない。再び闘いは可能か?いかなる戦略が可能か?これは戦後55年間のその最初と最後による優れた「批評」である。
 ところでこのような「批評」にとって、アングラがテレビドラマ化したような作劇法は妥当なのだろうか。例えば目の見えない少女というありきたりな象徴表現を使う必要があったのだろうか。まさしく戦後演劇の培ってきたドラマツルギー自体が批評にさらされる必要があるのではなかったろうか?

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1999年11月16日 テンプス・ノヴム第10回演奏会

 一部とはいえ自分が出演していたコンサートについて書くのは難しい。お金を払ったお客として冷静に見ていないし、特に今回のように演奏家として(大げさにいえば被雇用者として)参加した場合は主宰者との間に微妙な関係ができているからだ。まあだけど参加者の一人として何か言うことはできる。というか純粋に演奏家としてだけ出演するコンサートというのは私にとってとてもまれな経験なので、いろいろ言いたいこともあったわけです。
 テンプス・ノヴムというのは30代の作曲家が集まって演奏家を雇い、共同でコンサートを企画、作品発表するという日本の現代音楽の世界ではありふれた形式のグループ発表会である。まあこういう形式をとること自体、「現代音楽」というのがヨーロッパのように公共圏で認知されていない(西洋音楽だからね)日本では仕方がないことなのかもしれない。
 まず個々の作品で思ったこと。ゲスト作曲家のアンドリュー・メルヴィンの作品はリコーダー、打楽器(鍋とか)と作曲者自身による玩具のキーボード、リコーダーによるシアター・ピース。最近日本の現代音楽の世界でもシアター・ピースというのはうんざりするほど見かけるのだが、この作品はアカデミックな影響を一掃し、芸にはしるでもない、独特の貧血症的なユーモアを持ったなかなか面白い作品だった。こういうだらだらした面白さというのはなかなかない。横島浩の作品はリハしか見ていないのだが、小学生(?)の自分の息子に特殊奏法ヴァイオリンを弾かせ、歌わせるという反則勝ちの作品。私は鈴木治行という作曲家の作品でトモミンを演奏したのだけど、これはまあそれなりに面白かったのではないだろうか。でもこれについては私に判断する資格はない。
 そういえば、今回は「10回目の逸脱」という副題がついていて、各自が特殊な編成の作品を発表するということだった。という訳で他にもいろいろ趣向を凝らした作品があって、それなりに面白くもあったのだが、同時になんてつらまらないことをやっているんだろうとも感じた。「逸脱」するのはまあいい(どうでもいいことだとは思うけど)。でもその「逸脱」から感じられるのは、実験や挑戦というものではなく逆に「現代音楽」の範疇自体を逸脱しないための細心の注意というような保守性なのだ。
 別に「現代音楽」がいけない、といっている訳ではない。しかし現代音楽のクリシェ、あるいは西洋音楽のたかだか150年程の伝統にどうしてこれほど気を遣わなければならないのか?20世紀末の日本に住む彼らがアカデミックな伝統を奉る何の理由があるのだろうか?その奇妙さはイギリス人のメルヴィンの作品がそんな義理だてを一切していないことで増幅される。
 現代日本のあり方が西洋文化の範疇にある、それなら留保を必要としながらも分からないではない。しかし彼らが拠ってたつのはモダニズムですらなく、19世紀後半から20世紀初頭のブルジョワ文化が資本主義の中で文化行政に囲われて細々と生きながらえた残滓のようなものだ、といったら言い過ぎだろうか?
 別に私は五線譜を書いて、ピアノだのヴァイオリンだのオーケストラに演奏させることが不毛だとは思ってはいない。しかし道はいろいろあるはずだ。ヨーロッパのアカデミズムのスタイルだけが唯一の道ではない。これが現在の我々の具体的な生活から汲み上げられた表現だとは思えないのだ。
 年一回のグループ演奏会で発表して、コンクールに応募する、時々委嘱が来る。大御所を除けば日本の現代音楽の作曲家の作品発表というのはたいがいこんなものだろう。きっと現代音楽なんて誰も必要としていないのだ。もし作り手が必要だと本当に思っているならそれを納得させるだけの内容を持たなければならない。もしかすると作者自身が現代音楽なんて必要ないと思っているのではないか?そんなアイロニーさえ作品から感じてしまうのは私だけだろうか?
 実のところ、演奏された作品の多くの魅力はほとんど演奏家の優れた技術と音楽性から生じるものだったと思う。まあこの辺の感想はこの種の演奏会に行くといつも感じることである。どうにかならないものなのだろうか?せめてモダニズムに突っ走ってみるとかさ。

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1999年11月12日 天皇在位10年式典

 なんか「国民祭典」なんてものをやっていて、2万5千人だかが集まったらしいのだが、まあほとんどの人が関係はない。といいつつ民間団体主催のこの手の催しでこれだけ人が集まったというのも余り記憶にないような気もするがどうだろう。思い出させるのは1940年(だったか?)の皇紀2600年記念式典あたりか。これは自民党主導の明らかな右傾化工作が着々と進んでいる証しととれる由々しき事態だ、ということはとりあえずおいといて、興味があったのは「X JAPAN」のYOSHIKIが奉祝曲を書き演奏するという事態。そういえば皇紀2600年記念奉祝曲というのもあった。しかし団伊玖磨あたりが書くならともかく、YOSHIKIだというのはなんともはや。自民党周辺の「奉祝委員会」はブルジョワ趣味を払底して資本主義に完全に迎合するだけのセンスを持っているのかと思ったが、曲はロックではなく「ピアノ協奏曲」。ブルジョワ趣味に迎合する資本主義というところか(ちなみに政府主催の国立劇場の方はヨー・ヨー・マ、こちらは資本主義にも顔の利く正統ブルジョワ趣味である)。曲調は当日のテレビで2秒ほど聴いた感じではチャイコフスキー風と思ったが、その後のニュースで約6秒聴いたところただのリチャード・クレーダーマンであった。
 残念ながら「X JAPAN」はまともに聴いたことがなく、でも確かにブルジョワ趣味のロックだったような気もする。とはいえロック・ミュージシャンが天皇にお祝いの曲を書くというのは随分な皮肉である。今どきロックが反体制な訳はないのかもしれないが、とはいえそれは日本のロックの歴史性の欠如ということを端的に表してはいるのだろう。そういえば式典には安室奈美恵(いうまでもなく沖縄出身である)なんて人も出ていて、そんなこんなで思い出すのは日本のポップスの歌詞を聴くときのあの違和感。よくて「中学生日記」風の素朴な「よいこ」ぶった歌詞、ひどいものになると本当に小学校の朝礼の校長の訓話のような説教臭さ、こんなもの誰が聴くのだと一瞬信じがたいものが平然とマス・メディアにのり、しかもそれがラップにまで蔓延しているのを見ると、一体彼/彼女らはどんな音楽を聴き、どんな生活を送ってきたのかと余計な心配までしたくなるが、こうやってみると本当に体制にそっくり取り込まれてしまいそうだ。これはアウトロー/不良がラディカルな右翼の一端を担ってきたという明治以来の伝統とは明らかに異なることがらだと思う(この古いタイプを多少なりとも継承しているのが長淵剛あたりか。更についでに言うと反体制音楽としてのロックの歴史の継承と欠如の検証を行っているのが忌野清志郎だろうか)。
 たぶん、このような右傾化への流れがそのまま強権的な国家へ直進するということはないだろう。天皇制というものは常に曖昧でしかし強固な体制であった。しかし具体的な抑圧には敏感でなくてはならない。現実に弱者を、抑圧を歌う音楽家が今の日本にどれだけいることだろうか?
 ところでどうでもいいことだけれど、あの曲を「不敬」だと言う人はいないのだろうか?

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1999年10月27日 Little Asia Dance Project Dance Selection '99 オリベホール

 コンテンポラリー・ダンスの最近の動向を考えるとき奇妙に思うことがある。
 例えば、音楽にしろ演劇にしろ明らかな「90年代的」というべき動向をみて取ることが出来る。善し悪しは別にしてバブル崩壊後の経済的、心理的な不安を背景にしたといえるような、ある種の静謐さを特徴とする動向である。ところがコンテンポラリー・ダンスの世界では勿論変化はあったのだが、それにしてもバブルが続いているかのようなそんな印象を受けるのだ。毎年のように来日して大規模でむやみに高額な公演を行う幾つかのカンパニーを思い出してもよい。そう、確かに彼/彼女らは素晴らしい。しかし毎年万単位のお金を出して見るようなものじゃないだろう。別の場所で重要な仕事を地道に継続しているダンサー達も大勢とは言わないが、存在する。海外の名声を確立したカンパニーを呼び続ける、文化法人、公共団体はそういう人たちのことを本当に考えているのだろうか。まさか金が有り余っているわけではないだろう。金がなければせめて頭を使うようになると思うのだが。それとも海外大手カンパニーをベンチャーズ化する陰謀でもあるのだろうか?
 そんな中で、アン・クリエイテェブが毎年開催している、ダンス・セレクションは、若手のカンパニー/ダンサーを紹介する良い場所になっていると思う。こまめにフォローしていない私のような観客にとってその意義は大きい。そのダンス・セレクションの「リトル・アジア・ダンス・プロジェクト」に行った。香港、台湾、メルボルン、東京から選出されたダンサーがソロ作品を持ち寄って各都市をツアーするというこの企画、前述の文化法人、公共団体の行いに比べるととても有意義なことだと思う。思うのだけれどしかし、質を考えなければならない。
 香港のエドウィン・ラングは力作。力作だけれど所詮、象徴主義。台湾のク・ミンシェンは紙を使った即興。信じられないほどつまらない。この人、National Institute of the Arts の学部長とか書いてあるけど、誰でもなれるんかい。アホか。これを香港、台湾のダンスのレベルと考えてはいけない。既に我々は優れたダンサー、パフォーマーを幾人か知っているのだ。だからこれは選んだ奴がダンスなんか見たことがないか、馬鹿なのかどっちかだ。あんまりお客をなめちゃいけませんよ。
 メルボルンのキャゼリン・バリーは面白かった。半透明の幕にダンスのヴィデオを投影し、その後ろで踊る。ほとんど同じ内容を踊るため、そのズレが面白い。紙芝居みたいなちゃちくさい画像も良い。これはダンスというよりテクノロジー・アートという文脈での評価になるが、最近の最新テクノロジーと貧困な想像力というパターンばかりのテクノロジー・アートと比較してみても相当高いレベルだと思う。人を驚かせるなんてことがまだヴィデオでできるんだよ。でもダンスとして面白いかは疑問。
 東京は北村明子。この人のダンスをみる度に、その卓越した技術と洗練に本当に舌を巻くのだが、果たしておしゃれな消費財を提供する以上のことをする気があるのだろうか。映像も音楽も職人芸的でとても高度なものだが、全てが意匠でしかないというもどかしさ。レニ・バッソではそれ以上のものを感じることもあるのだけど。やはりバブルという空虚さを思い出させる。
 こんな内容に3700円も払ったなんて久しぶりに後悔した。料金は毎年上がっているのでは?アン・クリエイテェブさん、意欲はあるのだと思いますから、もうちょっとましなことはできないものでしょうか。それともたまたまひどかった時に行っただけでしょうか?とにかくそういう訳で最初に書いた疑問はやはり解消しないのでした。

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1999年10月4日佐野清彦の演奏(浅野修展)銀座小野画廊

 70年代に、多田正美、曽我傑らと即興、パフォーマンスグループの「GAP」をやっていた作曲家、佐野清彦による演奏。美術家の浅野修の個展でコラボレーションとしてパフォーマンスが行われた。
 床に並べられた、石、木、ワイングラス、竹、太鼓、尺八、アナログシンセなどによる演奏、見た目は多田正美によく似ている。手伝いという感じの若者と2人で演奏。一応プロットらしきものがあるらしく、石を叩くなら叩く、ワイングラスを擦るなら擦ると、10分位のペースで同じことを延々繰り返す。それにしても「演奏」というより些末事をだらだら反復するだけの様子は、退屈といえばこれほど退屈なものもなく、尺八や太鼓などの「楽器」の即興部分もへたくそ極まりない。バックにテープがずっと流れており、これはおそらくは創作楽器類による雅楽風の「音楽」。あまり関係なく演奏しているようだ。
 つまらないといってしまえばそれまでだが、パフォーマンス性を徹底して欠いた希薄さは「芸術」の限界を垣間見せていると言えなくもない。だがその意味では後半の打楽器のバトルは全く不要。「徹底」もしないということか。約40分の演奏。
 最初に述べたようにこれは浅野修の「絵画・オブジェ・楽器」展のコラボレーション演奏ということだった。「楽器」といっても浅野修の油絵、オブジェがそう名付けられているのだが、黒を基調にした茫洋とした形態が描かれた作品。「楽器の本質は無限に宇宙空間を創り出す。」と書かれていたが、何故「楽器」かは分からない。
 ただし、演奏と絵画を並べてみると、ある種の雰囲気というか、意図が感じられるのも確か。「もの派」的といってしまえばたぶん本人達は怒るだろうが、事象に関わるところに生起する事態、そしてその痕跡といった解説が実にしっくりくる。いまの芸術のありかたとして妥当かはともかく、その意味では相互補完的なまさにコラボレーションであって、音と絵画は不可分な事態として現出していたのは事実。
 ここで思い当たるのが、こういう美術と音楽のコラボレーションというものを久しぶりに見たという感じ。いや見てはいるのだがそれはある種、70年代的なものを引きずって表現活動をしている人々に限られる気がするのだがどうだろうか。日本の現代美術への「もの派」の呪縛の強さという議論は脇に置いて、それ以降、コラボレーションというものが真に成立する基盤はあったろうか?
 80年代には美術家が音楽をやる、あるいはその逆といったような越境者によって、ジャンルの横断が展開された。これはいうまでもなくテクノロジーの発達、流通によって音楽も美術も同じ「テクニック」で可能になったという事情であり、その成果はともかくとして現在もテクノロジー・アートとしてこの潮流は息づいてはいる。しかし90年代にはいっての音楽と美術の共働となるとせいぜいライフスタイルの共有(クラブとかね)といった次元に落ち込んでしまう。
 音楽家は音楽をやっていればよい。という意見ももっともでコラボレーションは必要な時にやればよい。とはいえそれは90年代芸術が技術も論理も、そして好奇心も欠いた代物だという証しではないだろうか?
 これは誤解かもしれず、しかも失礼な言い方だが、周囲の状況に影響されず、同じ様なことを続け、しかも主流にならない/なれない人の作品というのは、現況に対する強力な批評になることがある。それは歴史すら見落としてきたものだからだ。

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刀根康尚の音楽 "Musica Iconologos", "Solo For Wounded CD"

 刀根康尚の優れたこの2枚のソロCDが出てから随分たつのだが、どこかで取り上げられているのをほとんど見たことがない。だから私が書く。

 個々の作品の前に刀根康尚について少し。個人的には一度お会いしただけで、決して個人史に詳しい訳ではないのだが、分かる範囲で紹介しておこう。たぶん一番知られているのは、1960年の小杉武久らとの「グループ音楽」だろうか。世界で最も早く即興演奏を試みたグループとして知られているが、グループはその後フルクサスなどとの交流の中で発展的に解消する。刀根はこのころ読売アンデパンダンに音楽家として初めて出品している。刀根は60年代後半から「美術手帖」誌で音楽のみならず芸術全般の評論を手掛けている。特に1971年10月号での60年代芸術の特集と、1972年4-5月号での「年表:現代美術の50年」の編集、編纂は60年代芸術の総括としては極めて貴重な作業で注目される。同時にこの頃、彦坂尚嘉、堀浩哉らの美共闘revolution委員会に参加、また同じ彦坂らと「美術史評」を発刊している(ちなみに前記「年表:現代美術の50年」も彦坂との共編、この2人の組み合わせは2人のその後を考えると興味深い)。70年には著書「現代芸術の位相」を出版、今では全く手に入らないが、現代音楽の諸問題から、美術、デザインまでを射程に収めた名著。その後(70年代の半ば?)渡米、在ニューヨークである。
 ここまで書いてみて気がつくのは、様々な運動に当事者として関わっているのだが、常に外部から運動に加わっている感があること。結果、自分達の活動を常に客観化しようとする姿勢を貫いているようだ。同じ様な意味で音楽から、社会全体を捉えなおそうという強い意志をも感じる。「グループ音楽」で芸大生でなかったのは彼だけだし、美共闘は多摩美の学生の運動だから、世代的にも隔たりがあったはずだ。音楽家ながら文筆活動では主に美術批評を手掛けていたのも注目すべきだろう。最近の彼の音楽に見られる幅広い関心と、とてつもないオリジナリティーに繋がる要素を見いだすことができる。
 70年代以降の彼の音楽活動はほとんど知ることはできなかったのだが、僕が最初に目にした録音が、Butch Morrisの"current trends in racism in modern America" (85年録音)である。ここで刀根はなんと東洋風の発声で伸びやかな即興ヴォイスを披露している(ちなみに私がブッチの音楽を知ったのは、刀根康尚の名前で買ったこのCDがはじめて。その後彼とこんなに付き合うことになるとは思わなかった)。
 その後フルート奏者Barbara Held のアルバム"Upper air observation"にアルヴィン・ルシエの作品などと共に刀根の作品が2曲収録されている。おそらく2曲とも1988年の曲。"Trio for Frute Player" はフルートとフルート奏者の声、エレクトロニクスの三重奏。万葉集からの詩を全体の素材とし、声はその詩の英訳の朗読。フルートの演奏は詩の筆致(?)を奏者の運指に置き換えたもの。同時にその運指に反応して発振器が鳴るというもの。"Lyrictron" は明代の譜を五線譜に書き換えたものをフルートが演奏。その演奏をコンピュータがピッチ検出、そのデータに従ってリアルタイムで俳句を生成、モニター表示、合成音での読み上げをするというもの。言ってみればこれらは地域、時代を越えた文学、楽譜、文字、音響、テクノロジーの様々なシステム、メディアを置き換えていく作品といえようか。解釈(interpret)ではなく変換(transform)であることに注意。メディアが本来的に持つインターメディア性に基づいた作品。またフルートの譜面はおそらく完全に記譜されているだろうから、いわゆる現代音楽的であるが、それに不確定なテクノロジーが加わることで、演奏のパフォーマンス性が強く意識されている。そしてなによりエレクトロニクスの音の魅力的なことは特筆すべきだろう。"Trio" ではかなりローテクな発振器が"Lyrictron" では当時としては最新の音声合成技術が使われていると思われるが、いずれも古びることのないオリジナルな音色を持っている。
 で、93年の"Musica Iconologos"と、97年の"Solo For Wounded CD"の2枚のソロCDの登場である。"Musica Iconologos"は全編、衝撃的といってもよいデジタルノイズで埋め尽くされている。解説の英文が私には難しく詳しくは理解できていないのだが、図像論理の音楽"MUSICA ICONOLOGOS"というわけで、コンピュータに取り込んだ漢字に関連した画像データを音響データに置き換えたものらしい。おそらく「漢字」というのは表意文字というインターメディア性に着目しての選択であろうか。テクストは"Shih Ching"(読者の方にご指摘いただきました、詩経のことだそうです)によるもの。テクストの漢字1つ1つをまず写真に置き換え、それをピクセルデータ化、それをさらにDSP処理、音響化したということであろうか。実際、数秒の複雑な音響が少しずつの間を空けて並べられているというのが印象である。ここでは前記フルート曲でみられた、メディアの変換作業がより精緻に徹底して行われている。パフォーマンス性は皆無であるが、ここでも音響の特異性は注目される。既存の楽器の音や具体音、またいわゆる電子音楽の音響イメージにも一切依拠していないため、全く聴いたことのない冷徹で激しい音響に満ちている。そこらのノイズバンドもとても太刀打ちできない音なのだ。
 "Solo For Wounded CD"は文字通り「傷をつけられたCDのためのソロ」。流行りで言えば、"Musica Iconologos"のリミックス版。しかし恣意に満ちたテクノのリミックスとは異なり"Musica Iconologos"のCDの表面にスコッチテープを貼り付け、CDプレーヤーに掛けるというだけのもの。CDは針飛び(レーザー飛び)起こし、断片化された音響が続く(不良CDのあの音です)。一種のデジタル・エラーピースといえるこの作品は、前述のメディア読み換えの音楽と若干異なるようだが、実はCDに刻まれたデジタルデータという文字をレーザーの光で読み込むプロセスを、スコッチテープによる異質のグラフィックデータを挿入することで読み換えていると考えることができる。
 音楽においてのデジタル技術の利用は今のところ、アナログテクノロジーか西洋音楽史の模倣、追従の域をほとんど越えていないが、これら2枚のCDから聞こえてくるのは真にデジタルテクノロジーでしかありえない音楽である。最新のテクノロジーのその「新しさ」ではなく本質に基づいた作業である。つまり最新のテクノロジーをも、おそらく刀根は文字発生以来の長大なメディア史の延長で捉えているのだ。そのパースペクティヴのひろがりと深さには驚嘆するしかない。

 2つのCDの紹介をするつもりが、それ以前の紹介の方がずっと長くなってしまった。それは1つには刀根に関する情報が日本では余りに少ないということが私の頭にあったからだ。勿論、刀根が活動の拠点をニューヨークに置いているというのが大きな原因だろうが、彼のように幅広い領域を本質的に把握するという作業が日本で極めてマイナーなものに写ってしまうという問題も見て取れるように思える。60年代芸術の総括という作業ですら、今の私にはアクチュアルなものに思えてしまうのはどうしてだろう。ともあれ近作は手に入るので、皆さん聴いて下さい。(1999年7月)

Musica Iconologos (LOVELY MUSIC LCD 3041)
Solo For Wounded CD (TZADIK TZ 7212)
Barbara Held "Upper Air Observation" (LOVELY MUSIC LCD 3031)
Butch Morris "current trends in racism in modern America" (sound aspects sas cd 4010)

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DIGITAL「仁王立ち倶楽部」アーカイブ

 85年から89年にかけて美術家の荒井真一を中心に発行された「仁王立ち倶楽部」(当初は自販機本のコラムとして、後に自主出版)。発行部数500というミニコミがデータ化されてweb上で公開されている。
 執筆者は今泉省彦、粉川哲夫、鈴木志郎康、小倉利丸、竹田賢一、ほか。特に今泉省彦の「絵描き共の変てこりんなあれこれの前説」は50-60年代芸術とハイレッド・センターを巡る渦中の人物によるドキュメント。赤瀬川原平による名著「東京ミキサー計画」と「反芸術アンパン」の記述と大きく重なるが、今泉の文章には赤瀬川の記述に完全に欠落している当時の政治と芸術の厳しい拮抗が描き出されている。特にその拮抗の最も激しい現れであったであろう「千円札裁判」の部分は必読。
 これだけのものが今までなかなか目に入ることもなく手に入れることもできなかった訳で、インターネットの効用はまさにこんな使用法にある。内容的には時代を感じさせるものだが、この85-89年の頃を思い出すと実はこれが徹底して反時代的な営みであったことに気づかされる。読んでみて下さい。(1999年7月)

DIGITAL「仁王立ち倶楽部」アーカイブ
http://www.asahi-net.or.jp/~ee1s-ari/nio.html

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演劇二題

 別に私は演劇の熱心な観客ではない。興味がないとも言ってよい。いまのところ今年観たものはこの2本のみ。でもこの2本の芝居には今の我々の抱える問題が顕著に現れていたように思う。一方はネガティヴにもう一方はポジティヴに。
 この2本を比較するのは意味がないかもしれないし、当事者にとっても失礼極まりないかもしれない。しかも両方とも観たのは先月、先々月。細部に記憶違いがあるかもしれない。ご容赦願いたい。

遊園地再生事業団「おはようとその他の伝言」(世田谷パブリックシアター)1999年5月15日

 再生事業団を観るのは2回目、ごく初期の1本を観ているが印象は良くなかった。これもまた。
 筋はこれまで幾度となく繰り返されてきた、「ゴドー待ち」。だが例えば鴻上の「朝日のような夕日」がゴドーなんか来なくていい、と言っている(と記憶しているのだが)のに対して「高円寺駅」の住人たちはゴドーが来ないことに最初から無関心である。彼/彼女たちは飛び込み事故で停まっている電車を待つという口実で駅にたむろう。電車が来ないことを当然の前提として。時折現れる駅の外側も閉域の澱んだ空気を緩やかにかき混ぜはするが窓を開け放つことはない。内部に仕掛けられた異物も最後まで姿を見せることがない。しりあがり寿の悲しいガロのギャグを除いては。
 宮沢章夫には書くことがないようだ。書くことがないということを書くことにも飽き飽きしている。ならば何故書くのだろう?
 宮沢の演劇は平田オリザらとまとめて「静かな演劇」としてまとめられることが多いようだ。確かに彼の舞台には演劇を観ていて往々にして感じるあの気恥ずかしさはない。しかしそれは表面的な演出技法の類似にすぎず、そのような言葉はまさに平田が批判する戯曲に対する演出優位の視点から発せられているようだ。平田の戯曲には意味がある。その戯曲が上演されることで齟齬を引き起こす、舞台の外側がある。それに対して宮沢の戯曲は舞台の内部でひたすら自閉する。
 宮沢はとても時代に敏感な人だと思う。それは彼が80年代に何をしていたか思い出せばよい。だがこの停滞した時代に敏感であることが何の役にたつのか。それはコソボにも盗聴法にも無関心である閉ざされた心を写し出しているかもしれない。しかしそれは閉ざされてあることを正当化するなごんだ空気を提供しているだけかもしれないのだ。我々にはいつか電車に飛び込むことを夢見ながら、ギャグに笑い興じることしかできないとでも言いたいのか?

作・演出:黄鋭、配詩:北島、出演:室野井洋子、竹田賢一、龍昇ほか「June 君之死」(江古田ストアハウス)1999年6月7日

 大阪在住の中国人美術家、黄鋭による「パフォーマンスアート演劇」。彼は天安門事件に関係して現在のところ中国には入国できない立場にある。「June 君之死」は丁度10年前の天安門事件を主題としている。
 まず、日本に住む政治的亡命者と日本人が共慟で作品をつくる。そのことを高く評価したい。日本にも否応なく外部は存在する。そんな当たり前のことを当たり前としてやってしまうことが未だに困難で物珍しく写ってしまうということを考えてみなければならない。この作品は日本公演に先だって、マカオ、香港でも上演された。
 室野井洋子の繊細で軽やかな踊り、リチャード・ゴードン+カーマ・ヒントンによる映画「天安門」の引用(映画自体がニュース映像の膨大な引用で成り立っていることを思い出そう)、観客と血と酒を分け合うパフォーマンス、客席との議論、詩の朗読、それらと緩やかに関係を持ちつつ拮抗する竹田賢一の音楽、これら雑多な要素は、ライターから鳴る「東方紅」のメロディーと龍昇演じる権力者(同時に狂言回しか?)によって断ち切られ、強引に事件の時系列上に配置される。個別の表現、メディアはそれが「演劇」という枠組みに押し込められることによって、自律性を失い、天安門の犠牲者への追悼と再生の儀式へと昇華されていくようだ。
 敢えて難を言えば、権力者の言葉が類型的なこと、日本語の詩の朗読があまりに稚拙だったことが気になったが、凡百の演劇を一蹴する「演劇」であった。この演劇には伝えたいこと、伝える相手が存在する。私は「演劇の可能性」にはなんの興味もないが、演劇が強靭な表現力を持ち、それが演劇にしか為し得ないものであるとき、感動する。

 「高円寺駅」にもおそらく外部は存在するはずだ。宮沢はそれに気づかないのか、隠しているのか。それは具体的な一歩を踏み出すかどうかの問題でしかないはずだ。ちなみに遊園地再生事業団は400人程の会場で4000円でほぼ満員、「June 君之死」は満員で50人位で2300円、前者の方がずっと公演期間も長い。これじゃ世の中間違っとるとでも言いたくなっちゃうではないか。(1999年7月)

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1999年2月18日,20日 ICC New School 6「音、音楽、コミュニケーション」

ICC (新宿オペラシティ)で行われた、コンピュータ音楽の講座。コンサート形式による第3週の第1日、第2日について。各日2組づつのコンサートが行われた。何故か両日とも面白い人と面白くない人の組み合わせ。

第1日 後藤英、千野秀一+川仁宏
 後藤英は初めて聞く名前だが、IRCAMの研究員だかの作曲家。いわゆるセンサーもので作曲者がデータ・スーツ、ヴァイオリン型センサーなどを操作する。3台のマック、膨大な音響機材、ヴィデオ映像を駆使しての、圧倒的に下らない音楽。結局はテクノロジーに振り回されているだけ。むしろ技術見本市に近い。それにしても繰り返しが多く魅力は薄いが。せめてもうちょっと音色をなんとかできないものか。80年代以降のデジタル音響合成によるアカデミズム電子音楽に特徴的な、やたらに倍音構成の複雑な音。無限の可能性があるはずのコンピュータ音響合成が、ほとんど同じものしか産み出さないという皮肉。まあ一曲を聴いただけなら、そこそこ面白いかもしれないが、一時間も聴くと悪いところばかり耳についてしまう。それにしてもデータ・スーツとゴーグルに身を包み、観客の前で落ち着かない仕草を繰り返す様子のなんと滑稽なことか。しかもその滑稽さに本人は気がついていない。身体とテクノロジーを繋ぎながら、身体技法に関して無頓着過ぎるのではないか。
 この日ICCに行ったのは、実のところ川仁宏が出演するという情報があったからだった。60年代にハイレッドセンターに関わり、70年代に編集者として活動し、80年代に「マウスピース」という一連の「ライヴ」を行ってきた川仁氏だがその後活動を休止し、私は噂を聞くだけで実際にパフォーマンスを目にする機会は今までなかった。ともあれこの日の千野秀一と川仁宏によるパフォーマンスは信じがたいほど感動的であった。
 千野秀一のシステムは、揺り椅子(肘掛けにはcdsが装着)とヴィデオカメラをトリガーにしてコンピュータで処理、シンセサイザーとCDプレーヤーをコントロールするもの。近年、彼が行ってきた「揺り椅子」、「蟲めづる」の2つのインターフェースを合わせたものと一応は言えるだろう。ただしカメラはパソコンのモニター画面を直接捉え、ヴィデオフィードバックを形成、千野さんはモニターの前でピアノを弾く手つきで指と舌(!)を動かして、音群を大雑把にコントロール。
 川仁氏は揺り椅子に座り、椅子を揺らす、cdsに手をかざす、という動作を時々思い出したように行う。またパイプをくわえ小型マイクを突っ込んで吹く、鳴らすなどして音を出す(おそらくこれが「マウスピース」に近いものなのだろう)。
 ゆるやかで激烈な電子音響の中、川仁氏の身体が身体以前へと遡行するような動きを晒すといえば良いだろうか(あるいはアルトー的と言ってしまおうか)。ほぼ1時間、弛緩と緊張の同居する時間が続いた。
 後で千野さんに聞くと、全てを一台のマックで処理していたため、処理に遅れが生じ、例えばヴィデオフィードバックで起こっていたディレイ効果はそのためだったらしい。コンピュータの「遅さ」を利点にとった訳だ。後藤英がコンピュータを並べて複雑な処理をこなしていたのとは好対照。芸術家の仕事とはこういうものなのだよ。

第2日 岩竹徹、三輪真弘
 岩竹徹の作品も聴くのは今日が初めて。こっちはつまらない方。10分前後の曲を5曲。4トラックテープによる電子音をバックに邦楽演奏家が即興演奏するというのが基本的な考え方。電子音の方も邦楽が主な素材になっている。
 魅力的な音も多々聴くことができたが(全体にトレヴァー・ウィシャート風)、全般に生演奏と電子音の関係が不明確。電子音とほとんど無関係に演奏した謡を除いては、残念ながら演奏者も関係をつかみかねているようだった(ちなみに謡は中森昌三、正直、謡だけ聴きたかった)。でも欧米人はこういうのを聴いて喜ぶんだろうな。
 三輪真弘の「言葉の影、またはアレルヤ -Aのテクストによる- 」は問題提起的という意味で大変興味深い作品だった。Aとは神戸の殺人事件の「酒鬼薔薇聖斗」のこと。あの事件を素材として扱っているというか、作曲者はノートに「ノンフィクション作曲(!)家などという態度」と記載している。人数制限された薄暗い会場で、楽譜、映像、テクストが投影される紙灯篭風のスクリーンを囲んで4人の女性キーボード奏者が座り、演奏する(後半ではテクストを読みあげる)。微かな音で繰り返し奏されるメロディーはコンピュータ処理で(mspか?)他のメロディーを変調する。コンピュータ音楽のアイデアとしては決して新鮮なものとは言えないが、アンサンブルが一致することなく、しかし不可視の部分で関係しあう合奏形態であるという形で、雰囲気とあいまってひとつの「儀式」を形作っていた。この儀式が果たして「A」の「儀式」に対応しうるものなのか、それは分からない。分かるのはこれがコンピュータに代表される、すべてを交換可能にするシステムを批判する立場から、再度共同性を獲得しようとしていること。そういう意味でおそらくは「A」の儀式と共有する部分もあるのだろうが、それもまたフィクションとして(演劇として?)あるいは象徴表現としてしか実現できないということに不満を感じざるを得ない。要は、この儀式を「観る」、あるいは儀式に「参加する」、観客との関係が見えてこないのだ。だがそれはこの作品の欠点ではなく、この作品の誠実さの証しなのかもしれない。共同体へのノスタルジーでもなく、テクノロジー賛美でもなく、具体的な新しい社会関係を構築するような試みはできないのものだろうか。これは私の問題であるが。ともかくこの作品は音楽が音楽でなくなってしまうかもしれない領域を侵犯してしまう、微妙な音楽であった。(余談だが作曲者のノートにバタイユの「無神学大全」からの引用があった。あの本を出したのは川仁宏氏ではなかったろうか)。

 コンピュータ音楽だって音楽である以上、音楽として面白くなければならないのは当然のことで、そのテクノロジーが新しいかどうかは問題にならない。コンピュータはまだ余りに未成熟なためむしろ面白くするのは困難だと思う。その上、旧来の美学に対して全く疑義を呈さないのでは、問題にすらならない。千野、三輪両氏の作品は、最新のテクノロジーを用いて面白い音楽をすることに成功していたが、両者に共通するのはコンピュータをまるで古いテクノロジーであるかのように扱っていたことだった。
 もう一つ、NTTという日本最大のメディア企業がこのような啓蒙活動を行うのは、所詮、企業の文化的広告だという考えもある。そういうことを一応は頭を置きつつも、こんな企画を地道に、しかも500円で見せるという姿勢は評価したい。いろいろ問題はあるけどね。

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1998年11月21日<ASIA MEETS ASIA '98>プロトシアター

 私の観たのはプロト・シアターでのプログラム。The Crash(香港)、商品劇場(東京)、オルタナティヴ・リビング・シアター(西ベンガル)、DA・M(東京)の4劇団による4作品。2時から9時までの長丁場で全てについて述べることはできないので、特に印象に残ったリビング・シアター、DA・Mについて。
 インド/西ベンガルの劇団、リビングシアターは演劇の「参加」が、全く古びた考えではないことを教えてくれた。その上アルトーの「残酷演劇」とはまさにこれではないかと思わせる劇的興奮を感じさせた。主題は一言でいえば資本主義的抑圧との戦いということになるだろうか。村の祭りに訪れた異邦人と村民の出会いと対立というプロットの中で、例えばインドとパキスタンの対立と核開発、それを煽る経済先進国の物語がえげつないほどの直截さで劇化される。全体にインドの伝統文化を基本にした身体技法で、俳優は一部を除いてセリフを発さず、物語は音楽家によって歌われる(ちなみに音楽はこの作品の演出家のプロビール・グハによる。歌もタブラも滅茶苦茶うまい)。でもおそらくこの伝統は、本来的な伝統身体技法を維持しているというより、対資本主義の武器として選択されていると考えた方が妥当だろう。なにしろあのニューヨークのリビングシアターの名前をそのまま名乗り、ベンガル共産党の極左グループから派生した劇団である(この話は竹田賢一さんに聞いた)。なぜ日本の我々はストレートに社会に発言することが困難であり、伝統を利用することができないのか。我々が考えなければならないのはそういうことだ。近代主義は政治も伝統も拒絶するものではない。
 東京のDA・Mは表層的には政治的でも伝統的でもないが、しかしそこから切り離されてなお身体技法はいかに成り立つかという問題をラディカル扱っており、政治的なあるいは伝統的な身体を遠くから意識化しているとも言える。DA・Mを観るのは4、5回目だがいままで観たうちでは一番面白かった。ある種のドラマがそこには形成されており、今までより通常の意味で演劇的になっていた。セリフがないのが特徴だが今回は、20世紀の様々な「言葉」が断片的に語られていた。竹田賢一による音楽は大正琴による断片的な音響とモリコーネの曲、数台のテープレコーダーによる20世紀の様々な声(たぶん)によるもの。慣習的な身振りを取り払った上で舞台の関係性から身振りを再編していくそのやり方はモダニズムの再検討を含むもので、例えばもはやモダニズムの亜種にすぎないようなこの前のカニングハム舞踊団よりよっぽど面白い。でもなんでこういうことを誰も言わないのだろう。
 全体についていくつか。4作品全てが生演奏による音楽だった。とりあえず音楽家としてはうれしいことです。またその気になれば大劇場でも可能な企画を観客との距離が異常に近い自主スペースでやるプロトシアターの心意気も素晴らしい。楽屋もないのだが、それでも日本の劇団は衝立を立てたり、照明の部屋を使って楽屋にしていた。それに対し、海外の2劇団は衣装替えも舞台上でそのまんまやってしまう。
 最後にパーティーがあってそれぞれの劇団がお互いに批評しあう時間があった。それもなかなか面白かったのだが、通訳が不備。ボランティアで不慣れなのは仕方ないが、勝手なタイミングで勝手な解釈で通訳してしまう人が1人いた。あれは頂けない。ちなみにスタッフはほとんどボランティアらしく受付も要領が悪かった。でもこれはこれで好感を抱かせる。手作りの料理はとてもおいしく、量も多かった。こういうことってとても大切かも。

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1998年10月26日マース・カニングハム舞踊団

以下の文章はおそらく批判めいたものとなると思うが、私が見たのは10月26日のBプロのみのため、今回の目玉である、カニングハム+川久保+小杉の「シナリオ」や「オーシャン」は見ていないことをお断りしておく。

「ロンド」音楽:ジョン・ケージ "FOUR6"
4年前にみた時に比べてダンサーの技術的な水準は明らかに低下したようだ。カニングハムの振り付けがあくまで正当的なモダンダンス(というよりモダンバレエ)を前提にしているため、動きの粗さは見ていて辛い。2年前に古参メンバーの集団脱退があったというが・・・。振り付けもかなり単純化され、同時多発性の面白さがなくなった。舞台上の焦点は常に一つ。男女のペアで踊ることが多く、意図が計りがたい。普段着を着ているため、80年代の表現主義ダンスを思わせる瞬間すらある。この振り付けを見る限り、ケージ=カニングハムの哲学は明らかに後退したようだ。音楽もあまり面白くない。"FOUR6"はかなり許容度の広い曲であるが、ジム・オルークのMACのサウンドファイルの再生による演奏は音が悪いし、古いポップスの断片を中心にしたサンプルは、オルークの「趣味」に過ぎないのではないか。ノスタルジーの反復は音そのものの持続を妨げているようだ。PAもあまり良くない。唯一、小杉の演奏だけが興味をそそった。

「グランド・レベル・オーバーレイ」音楽:スチュワート・デンプスター 美術:レオナード・ドリュー
ダンスに関しての印象はほとんど「ロンド」と同じだが、ソロ、あるいは数人で踊る部分が多く、ダンサーによってはなかなかのレベルにいっている。デンプスターの音楽は、典型的なアンビエント=ロマン主義。トロンボーンの重いフレーズはもろワーグナーを思わせる。美術もとりたたて面白いことはない。

「サウンドダンス」音楽:デヴィット・チュードア 美術:マーク・ランカスター
前2作が90年代の作品、これは75年の作品。案の定これがずば抜けて面白かった。ここでもダンサーの技術不足が目立つが、振り付けは有無を言わさぬ強度に満ちている。中心が生まれそうになった瞬間に新たなダンスが介入する、生成と解体が連続する様は驚くべき。チュードアの音楽はオリジナルの演奏を3台のCDで再生、オルークがミックスするというスタイルで再現。この手のホールではまず聞けない大音量(本当はもっとほしいけど)。チュードアの生演奏にはとても及ばないものの、すさまじい音響。4年前の感動を思い出した。でも昔の作品でしか感動できないのはなんとも寂しい。私にとって前回の来日公演の印象があまりに強かったからだろうか。もし今回だけを見たのならそれなりに楽しめたと思うのだが。

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1998年8月8日〜10日 沖縄

 8日10時50分那覇空港着。バスで国際通り。ホテルにチェックイン後、関さんと牧志公営市場へ。魚を買って食堂で料理して貰うつもりだったが、メニューも一杯あるので、メニューから頼むことに。ソーキそばとゴーヤチャンプルー、ラフテー。1人800円位。ソーキはおいしいが太い縮れ麺は余り好きではない。ゴーヤチャンプルーは豆腐と卵いり。これはおいしかった。ラフテーもおいしいが2枚で800円はちょっと高い気もする。
 夜まで時間があるので市場をうろつく。豚の顔や熱帯魚、海蛇が並ぶのは壮観。食欲をそそります。楽器屋では空き缶製の三線を発見。高校の部活で使ってるものだそうな。安価な形に作り替えられているということはまだ古典になっていないということか。でも6800円、そこそこする。
 海まで散歩。日光が強くてたまらない。風はあるのですが。町並みはそう違うものではない。那覇の海は汚く、地元の人が水浴びしてるだけだった。
 夜はまた市場そばの食堂で刺身定食。1200円。奮発したわりに期待はずれ。熱帯魚みたいな魚も歯ごたえばかりでそうおいしいものではない。バスで沖縄芸大へ。 会場で信さんと合流する。小池さんやダニーさんに挨拶。7時半から琉球舞踊。ごくごく普通のホールのため、いわゆる古典鑑賞会風になってしまう。出演者も型が体になじんでない。その中で志田さんという人の女踊りは面白かった。動きが限定されたパターンで成立していてモダニスティックに見えかねない踊り。組踊りは演技が狂言、琉球風の地唄、語りは京劇のスタイル。それらが融和されることなく併存する様はさすがに沖縄だ。終わってから野村君に言われていたシンチャホンさんに挨拶。
 翌日は朝また関さんと公設市場へ。今日こそ買った魚を調理して貰おうといったのだが日曜のため鮮魚市場は休み。結局ソーミンチャンプルーとグルクンという魚の唐揚げを食べる。ソーミンチャンプルーは自分では何度も作ってきたが、おいしさが全然違いました。昨日見た三線を買おうとするがあいにく店は休み。他の店で小さな太鼓を買う。3000円。
 バスで沖縄芸大へ。昼食時間にパフォーマンスの位置決め。机が堅い。その後ビデオブースで各国参加者のビデオを見る。シンチャホンはリチュアルな雰囲気だがミニマリズムの影響を感じさせる作品。音楽にディアマンダ・ギャラスを使っていた。広州のモダンダンスグループはもろグラハムスタイル。ちょっと意外。台北のパフォーマンスフェスでは大駱駝館みたいなのが目立った。圧巻はなんといっても香港のズニ・アイコサヒドロン。ダニー・ユン率いるパフォーマンス集団。1時間のテープに10作品ほど収められているが、全てパフォーマンスの実写を編集しビデオ作品として仕上げたもの。ほとんど舞台装置もないステージを白シャツ、黒ズボンのパフォーマーが淡々と動くというものが多いが、その映像が分割されエフェクトがかかる。ときどきテキストが介入。かってのダムタイプを思わせるが、シンプルで政治的。ビデオ作品として極めて刺激的な内容である。
 暇なので首里城に行く。大学のすぐ横。異国情緒あふれているが、800円払うほどのものではないか。入り口で椰子の実(の中身)を飲む。カルピスみたいな感じ。生っぽさはまるでない。甘い。
 リハーサル室に戻るとダニーさんの作品に出るジミーが練習している。セリフは日本語。ジミーは勿論日本語を話せない。このためにセリフだけを覚えたそうだ。でもまだ完全ではない。ときどき間違えたり詰まったり。やはり助詞に苦労しているようだ。詰まると私に聞いてくるが、私が教えていいものなのか。そもそも台本の日本語もちょっとおかしいのだ。これは演出なのか。
 6時から会場でリハ。といっても我々はちょっとやって終わり。照明も音響もないので簡単至極。
 ダニー・ユンの通しリハを見る。基本的にジミーが椅子に座って話すだけ。机ともう一つの椅子が照明で現れたり消えたり。テクストは現代の香港の1国両制とダニー自身の立場。それと1つの机と2つの椅子という今ここの舞台、そして演出家とパフォーマー、観客の関係がパラレルに語られる。これに照明、音楽(バッハ、威風堂々、星条旗よ永遠なれ、東方紅)、字幕(英語、広東語)が絡むことで政治、演劇、伝統、そして観客の関係性があぶりだされる。恐ろしく緻密なテクストだ。やはりジミーは詰まり詰まり語る。分からないところは英字幕を見て補う。だがそうやって語られる言葉はそれだけによく聞こえてくる。ドゥルーズのマイナー文学の概念を思い出した。ポストモダン云々でなしに、そいいうテクストのあり方はまだまだ有効なのだ。テクストがこれ程の強度をもって発せられるのを見るのは初めての経験だった。
 7時30分から本番。最初は沖縄の幸喜良秀の作品。昨日の琉球舞踊の志田さんと沖縄在住のイギリス人ダンサー、バーナードが演じる。舞台袖からしかも前半を見ただけなのだが、沖縄における米兵と住民の軋轢を描いたものと言っていいだろう。正直あまりに単純な象徴表現で辟易した。パフォーマーもストーリーの枠にとらわれていてつまらない。ドラマとしては沖縄芝居でやったほうが面白いだろう。
 我々の本番。私の癖でついつい本番は張り切ってしまう。疲れたからといって途中でやめられないので終わった時は立ってるのがやっと。客席は演劇関係者の割にやたらと受けていた。楽屋に寝転がってしまいダニー・ユンの作品は楽屋で見る。
 終わって、ジミーが帰ってくる。リハの方が良かったと悔やんでる。客が寝ていたらしい。バーナードも来て、私にむかって「なんだよあれー」とこれは日本語で言う。ジミーも「なんだよー、なんだよー」と騒ぐ。
 ホテルに移動。小池さんも喜んでくれた。ホテルは今まで泊まった中ではおそらく最高級。パーティーに行く。ダニーさんから香港に来いと言われる。こちらも是非と答える。沖縄の演劇関係者ともいろいろ話すが若い人の参加者が少ないのが残念。結局タラフマラのスタッフと話す。そしたらスピーチを頼まれた。他の人のスピーチを全然聞いてなかったので焦る。
 翌朝はゆっくり過ごす。ホテルからバスで空港に行こうとするがバスが全然こない。そもそも停車場の時刻表とホテルで貰った時刻表と実際の来る時間が全く違う。1時間に1〜2本しかないのにこれだとどうしたらいいのか。結局タクシーで40分の所をバスの乗り継ぎで2時間近くかかってしまった。12時40分沖縄離陸。

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1998年3月31日〜4月11日 ニューヨーク

31日
   off の日。MoMAに行く。$9.5。常設は見たようなものばかり。マティスを除けば、コレクションの質はそれ程でもないかも。有名なのだが駄作というタイプが多い。これってMoMAの陰謀だったのか。企画展のメインはChuck Close。初期のバリバリのハイパー・リアリズムはさすがに見応えあり。量が膨大。よくも飽きないものだと思っていると、年を経るごとに筆致が顕になっていく。コンセプト1本槍の作家が、年をとって曖昧な表現になっていくのはよくある話。随分下らない変わり方をするものだ。どうせこうなるならコンセプト自体を変えればいいのに。たぶん作家のイメージが定着し売れるようになると容易にはスタイルを変えられないのだろう。そしてより売れやすい作品を作るようになる。だが日本のようにまるで売れないというのも考えもの。社会性がなくなる。ほんの一角でやっていたRobert Cummingは見つけもの。初めて聞く名前。コンセプチュアルな写真だがどことなく漂うユーモア。身体的なパフォーマンスの痕跡を記録したものといえばよいだろうか。ばかばかしいことを真剣にやるのは大切なことだ。ショップで作品集を探すがない。マイナーな作家なのか。その隣の写真コーナーはとても良い展示。
 夜、竹田さん、悠美子さんらとKnitting Factoryに行く。Old Office でELETFAというハンガリアンフォークのバンド。$5。ヴァイオリンとヴィオラ風の楽器(駒が平たく和音しか弾かない)とベース(3弦)と時々ヴォーカル。PAはなし。割と淡泊な音楽。マジャールの音楽はもっと変拍子や不協和音が多いはずだが。アメリカで単純化したのか、アメリカ人向けに単純にしているのか。ちょっと不満。雰囲気はとてもいいのだが。悠美子さんとメインスペースのDennis Warren's Full Metal Revolutionary Jazz Ensembleというハードな名前のバンドを見に行く。$8。ペット、フルート、ギター*2、ベース、ドラムの編成。ドラムのWarren以外は名前を聞いたことがない。テーマはないが、いわゆるフリージャズのフォーマットでホーンとドラムでソロ回し。リズム隊はファンクの影響が強い。とくにかくドラムは猛馬力で1時間叩きまくり。日本人はこの辺絶対かなわない。まあそんなことする必要もないのだけど。ホーンは上手かったが、リズム隊だけでリズムの面白さを前面に出した方がずっと良かったと思う。
2日
 リハの後、竹田さんと綾ちゃんとでRichard ForemanのBenita Canovaを観に行く。勿論Ontorogical Theater。予約は満員だったのでウェイティングリストに入れていたのだが、結局入れず。残り数人なのだから入れてくれればいいと思うのだが、定員以上1人たりとも入れない。日本ならなにがなんでも詰め込むものだが。竹田さんが掛け合うが受け付けは厳しい。他に観る機会が皆無なだけにとても残念。
3日
 グッゲンハイム美術館本館。$12。美術館入場料は日本と同程度かそれ以上。規模は違いますが。「中国5000年」展。意外と展示量も少ない。日本でもよくあるタイプの展覧会。パンフに1920年代のモダニズムと社会主義リアリズムがでてたので期待していたら、清代で終わり。以降は分館ということでした。すみっこでやっていたドローネー展は面白かった。モダニズムの視たパリの風景とパリのモダンについての考察。視点が明快で展示作品も充実。これは日本の美術館ではなかなか望めません。
 夜、ニューヨーク公演の初日。
4日
 今度はグッゲンハイムソーホー分館。$8。今世紀の中国美術。ほとんどが初めて見る類のもの。量は少ないもののモダニズム絵画は感動的。モダニズム表現と政治的な主張が密接に結びついている。日本の同時期のモダニズム、プロレタリア芸術との類似も見受けられ、興味深い。このあたりの研究は今後の課題だろう。それはこれらの遺産を失わせた日本の課題でもある。社会主義リアリズムの作品もまず観る機会がないだけに貴重な体験。例えば文革期の絵画など紹介されたことがあったろうか。明確な芸術理論がそこにはあった訳だが、4人組裁判以降の世界史では無視されるしかない存在だ。毛と林彪、江青の肖像画を我々はどう観るか。また伝統的な水墨画が抽象的になっていく80年代の動きなど現代美術の文脈や日本画の展開と比較して考えることができるだろう。ただ80〜90年代のアヴァンギャルドはさすがに出ていなかった。
 その後ソーホー周辺の画廊、美術館めぐり。New Museum , Leo Castelli他、10数ヶ所。どうもピンとくるものが少ない。やはり身体を基盤にしたもの、グロテスクなものなど最近の流行りものが多かった。PCは思いの外少ない。もう流行らないということか。それとギャラリーによってはアニメの影響を受けたものが目立つ。日本で画廊廻りすると多い、趣味的な絵画は皆無。面白いものとしてはDoris Saicedo, Maria Cardoso等。Cardoso作品は蚤のサーカスのヴィデオ作品。本当に蚤が綱渡りする。作家は芸術家から蚤のトレーナーに転身したらしい。ちなみに音楽をクリスチァン・マークレーが担当していた。そういえば入り口に寄付金箱がおいてある画廊が多かった。日本でもやってみたらどうでしょう。
 夜、本番。
5日
 昼からアメリカでの最終公演。ようやく終わりました。後は遊ぶだけ。
 夜、Knitting Factoryに行く。AlterknitでDavid Simons - Lisa Karrer Band を聴く。$7。客は30人くらい。ヴォーカルとコンピュータにドラムとスティールギターのゲスト。打ち込みに生楽器がフリーキーに絡み、上に芝居がかった歌がのっかるのが基本形。ヴォーカルはなかなかいいし、テルミンを使ったりして意欲的ではあるが、いまいち退屈。ちょっと期待外れ。
6日
 公演を見に来ていた天鼓さんからの口コミのライヴに行く。チェルシーのCooler というクラブで天鼓+モリイクエ+Eyvind Kang、他4バンド。クラブなのだがチャージ無料しかもオーダーは不要。どうやって経営しているやら。その上、天鼓さんからドリンクチケットを貰う。10時ごろライヴ開始。Eyvind Kang のヴァイオリンはとても良い。終わってからモリイクエさんとちょっと話す。次はペットとドラム、ベースのフリージャズ。よくわからんブッキング。ドラムはまたまた猛馬力。ペットもうまいが白人の若者のベースがひどい。エレクトリックベースでエフェクタを駆使するがそもそも下手で自己陶酔タイプ。リーダーらしいドラマー(60位の黒人)がベースに気を使うのが奇妙。その次が15人位のフリージャズビッグバンド。これまたみんな下手でまるで統制がとれない。たぶんほとんど素人。全員がずっとソロをとる。熱意は感じられるのですがいやはや。下手なフリージャズを聴く機会はまずないので最初はおかしかったが延々続く、客はどんどん減っていく、で我々も退散。最後に出演予定のエストニアのマルト・ゾーのバンドを聴きたかったが、2時もすぎたので帰る。
7日
 昼、METへ。この手の美術館もいいかげん飽きてきた、と見ていて思う。最初ルーブルに行った時は感動しまくってましたが。でもフェルメールはとても良かった。これを見れればいいか。楽器コーナーも充実。美術品としての収集なので、発音原理なんかはよく分からないものがある。サックスやクラリネットの変種などとても面白かった。
 夜、期待していたChristian Marclay +Christian Wolf。またもKnitting Factory。$8。日本でこれをやったら4000円はするだろう。この値段の違いは文化を形成する上で大きい。客は200人ぐらい。この組み合わせでなにをするかと思ったが、1時間の即興。ウォルフはエレクトリックギター、プリペアドピアノ、鍵盤ハーモニカ、玩具などを使う。マークレーはそれなりに盛り上がったりして相変わらずのスタイルだが、ウォルフは淡々とノイズを発生させていく。即興ながらケージ的な音。淡々としていながら精神性や趣味性をまるで感じさせない。期待に違わぬ演奏だった。終わってから前に座っていた紳士の顔をみるとなんと刀根康尚氏。あわてて自己紹介する。幸運。聞くとマークレー、ウォルフ、刀根の3人でマース・カニングハムの音楽を担当したそうだ。そういえば一時音楽活動を停止していたマークレー、また活発に活動中で、我々の本番と重なっていけなかったが、Marclay+DJ Olive+Vito Acconti(!)というパフォーマンスもあった。
 その後、同じ場所でAdd N to Xを観る。$10。この価格ならハシゴも簡単。客は300人くらい。立ち見でほぼ満員。イギリスのテクノ、ノイズバンド。イギリスで一番うるさいバンドということだったが、音量は高円寺の2000V以下。メルツバウの10分の1くらいか。それでも耳栓をするひと。耳を押さえる人がとても多かった。これは意外な発見。生のツインドラムにアナログシンセ3台、ヴォコーダー。15年前のミュートレーベルの音、といえば近いか。ドラムはロックビート、ノイジーなシンセのフレーズがのっかる。最後はノイズの海。なんか懐かしい音だ。
8日
 ホイトッニー美術館。特別展はBill Violaの大規模な展示。マルチチャンネルのビデオ作品をこれだけ見るのは初めて。デティールの面白さ、洗練の内に見え隠れするユーモアなどさすが。どことなく居心地の悪さを感じさせるところも魅力といえば魅力。年を経るごとに神話的なものへの関心が増してきているようだが、それが知覚システムを主題とするようなインスタレーションとどう繋がるのかいまいち分からない。そういう意味では初期のヴィデオ作品の方が、がさつな所も含めてすっきりしている。
9日
 Queens まで出て、P.S.1 Contemporary Art Center に行く。N.Y.から川1本渡ると、見慣れたアメリカの風景。要は田舎。廃校の小学校をアート・スペースに改装したはしり。もろ教室に膨大な量の展示。1人1部屋が多く、贅沢な空間の使い方。日本でもこの種の試みは何度か行われているが、恒久的なものはないだろう。作品の質はピンキリ。気になる作品はだいたいビッグネーム。Serra,Kabakovなど。Siah Armajani のインスタレーションは新鮮ではないが、公共性と芸術の兼ね合いという点で面白かった。そういえばミネアポリスの橋と公園のプランナーとしてArmajamiの名前を見た。イラン出身の作家だったろうか。Jack Smithの大規模な展示が終了していたのは残念。スタイルの出来上がった作家以外は、概して流行りか過去の傾向の焼き直しが多い。インパクトに欠けるのはどこも同じ。
 誘われていたのでマース・カニングハムのスタジオでレッスンの見学。でも着いたら誘ってくれた人がいない。日本人の何とかさんのレッスンを見学。伴奏ピアノに合わせて先生の動きをみんなで真似するというオーソドックスなレッスン。でも動きはカニングハムのもの。ちなみにピアノはアップライトのMIDIピアノだった。

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