音、あるいは耳について コンセプトと報告 vol.1〜vol.6

vol.1, vol.2, vol.3, vol.4, vol.5, vol.6


全体のコンセプト

「音、あるいは耳について」は足立智美の企画により、音楽あるいは音に関する実験的な活動を展開する芸術家を紹介するパフォーマンス・シリーズである。1997年までに6回まで行われ現在休止中である。このシリーズは原則として以下の点をコンセプトに据えている。
1.毎回異なったスタンスからテーマを作り、そのテーマに従って複数の芸術家の作品を並置する。
2.毎回異なった会場を用い、プロデュースのさまざまな形式を試みる。
3.主に1960年生まれ以降の芸術家をとりあげる。
4.採算可能な制作システム、広報活動の模索。
5.観客に標準以下の価格で、知名度は低くても良質のパフォーマンスを提供すること。
要約すれば私自身に近い世代の芸術家を横断的にとりあげ、仲間うちではない広がりと企画性を持つこと、そして出演者への相応の報酬と制作費をだせるだけの集客を目標とすることとなるだろうか。
シリーズ開始の動機といえば、まずは活動を開始したばかりの私自身の活動場所を開拓するということが主なものだった。


音、あるいは耳について vol.1
出演:足立智美(ヴォイス、エレクトロニクス)
   村井啓哲(電気+)
   坂出雅海(光センサー、コンピュータ)
日時:1994年11月6日 19:30時
料金:1800円(前売) 2000円(当日)
会場:シアター・プー(新宿)
第1回目の時点ではテーマということはそれ程考えておらず、この回だけ副題がないが、今から思えば身体とエレクトロニクスの関連に焦点を合わせたものになっている。足立の演奏は、ヴォイスをリアルタイムのエレクトロニクス変調、サンプリングを介して、展開していくもの。村井の演奏は様々なアコースティック、エレクトロニックのオブジェの音を、水を用いた電子変調システムに通していくもの。坂出の演奏は自作の光センサーによるシステムとコンピュータを用い、身体の運動を音に変換していくものだった。観客は約40人。


音、あるいは耳について vol.2  視覚←音楽への試み
出演:足立智美(声、指揮、玩具、その他)
   川島素晴(肉体、創作楽器、その他)
日時:1994年12月9日 20:00時
料金:1500円
会場:ギャルリーEMORI(表参道)
プログラム:クルト・シュヴィッタース「原音ソナタ」より(足立)
      マウリツィオ・カーゲル「国立劇場」より(川島)
      川島素晴「視覚リズム法」(川島)
      ジョン・ケージ「ソロ・フォー・ヴォイス第2番」(足立)
      ディーター・シュネーベル「可視的音楽1」(足立+川島)
      キャシー・バーベリアン「ストリプソディ」(足立)
      ヴィンゴ・グロボカール「肉体の?」(川島)
      黒沼真由美+足立智美「Development of form」(足立)
      ジョージ・ブレクト「3つのランプイヴェント」(足立+川島)
      *括弧内は演奏者
前回から約1カ月後に行われた vol.2 は現代音楽の演奏会のようなプログラムであった。しかし会場がギャラリーであること、そして何より、ほとんどが現代音楽作品として知名度の高い作品でありながら、全くと言って良いほど演奏されたことのないものである(何曲かは日本初演あるいは2回目の演奏)ということで特徴づけられるだろう。川島素晴は当時パフォーマティヴな作品を書くことで知られ始めていた作曲家だったが、彼が芸大で行っていた演奏を観て、演奏家としての参加を依頼した。副題にもあるように、主に視覚との関連の深い作品を足立、川島の2人で選曲。結果的に音響詩からフルクサス、ヨーロッパ・アカデミズムに渡る広い範囲の、しかも通常の演奏という概念から逸脱するため、演奏されることの極めて希な作品がそろった。演奏は主にヨーロッパ系の作品を川島が、実験主義系の作品を足立が担当したが、そのような音楽史的な区分を越えて、並列させる試みは、60年代を除いてはほとんどなかったと思う。観客は約80人。


音、あるいは耳について vol.3 サウンドパフォーマンス 〜音とかたち〜
出演/タイトル:足立智美/みんなのうた
        ニシジマアツシ/bit music
        前林明次/hypersync
        村井啓哲/LUSENT++
        安井献/Here stands a ball,TWO DURATION(George Brecht)
日時:1995年7月1日 19:00時
料金:2200円(前売)2500円(当日) 
会場:P3 art and environment
シリーズ中最大規模の企画。P3は実験的な美術、音楽の中心的な会場だった。サウンドパフォーマンスという切り口からいわゆるサウンドアートの分野の芸術家を関西、関東おりまぜて集めた。足立の「みんなのうた」はその後何度も演奏されることになる作品の初演。演奏は公募による10人のパフォーマーと角田亜人(ターンテーブル)による。ニシジマの作品は、マイクノイズをゲートとしてCDの音を断片化する作品と電磁波で蛍光灯と音をコントロールする作品を組み合わせたもの。前林作品はパフォーマー(高橋幸世)の朗読と心拍音をコンピュータでコントロールされた3台のオープンリールで録音、再録音していくもの。村井作品は自作の発振器を蝋燭の光で制御しノイジィーな電子音を発生させる。安井の2作品はスライドと組み合わせたカットアップ詩の朗読、及びフルクサスのブレクト「Two Duration」をシャツを着て会場を走るというプロセスで上演するものであった。
この機会のために作られた作品がほとんどであり制作費がかかること、ニシジマ、安井は関西在住であるため交通費がかかることなど、諸経費が必要で、この回のみ私でなく小田井真美が制作を担当し、また複数の方から資金援助を頂いた。入場者数は約180人。


音、あるいは耳について vol.4 秋、青山通り散策

出演:足立智美(パフォーマンス)、川島素晴(パフォーマンス)、Yuko Nexus 6(コンピュータ)、吉田アミ(ヴォイス)、福井知子(パフォーマンス)、前林明次(コンピュータ)、鈴木淳史+芳賀徹(移動式インスタレーション)
日時:1995年7月23日 15:00〜17:00時
場所:東京・青山通り

前回と一転して野外でのパフォーマンス。外苑前から渋谷駅までの約2kmを青山通りに沿って移動しながら様々なパフォーマンスを行っていくという企画だった。パフォーマーの選定には特に基準はなかったが、これまでの出演者と若干重複している。また当時、路上でのパフォーマンスを多く行っていた集団「納豆漁業121メートル集合」の2人、鈴木淳史、芳賀徹にも参加を依頼した。
日常的な環境への干渉を目的としており、私の頭の中ではオウム事件の余波の中で異質性の排除が正当化されかれない状況への反発があった(実際通りがかりの人の口からは「オウムみたい」との言葉も聞かれた)。内容としては渋谷駅東口歩道橋周辺を一定時間、持続音で満たし、音環境を変質させる足立作品や、芳賀+鈴木による自転車によるサウンドインスタレーション(これは通りを周回)のような系統を始め、コンサート会場で聞かれるべき現代音楽作品を敢えて路上で上演することで作品の質と空間の質を変容させようとしたもの(H.ラッヘンマン「トッカッティーナ」、E.ブラウン「1952年12月」などの演奏)、古典的なパフォーマンス作品(武満徹「コロナ」、L.M.ヤング「コンポジション 1961 #1〜#29」など)の上演、前林のコンピュータによるインスタレーション、即興演奏などが含まれた。観客数は告知を見て来た人が40人程度、その他通りがかりで積極的に見た人が200人程度といったところか。ちなみに収益は投げ銭によるカンパ。


音、あるいは耳について vol.5 オペラ「食卓で音楽」

出演:足立智美、宇波拓、古澤健、堰合聡
日時:1996年7月26日 19:30時
料金:2000円
会場:キッド・アイラック・ホール(明大前)

この回は足立作のオペラ(!)の上演という体裁をとっており、個人的な作品としての性格が強く、シリーズの中では例外である。当時ほとんど無名の友人達を集めての公演で、題名からも窺えるように食事や食文化をネタにしたシアターピースで最後には実際に調理、食事が行われた。パフォーマンス中の合唱パートから後に「足立智美ロイヤル合唱団」が派生することとなった。作品の再演もしたいところである。ちなみにこの企画はキッド・アイラック・ホールでの3日連続の実験音楽企画の1日で、全体はREM 及びwrk との共同企画であった。観客は約50人。


音、あるいは耳について vol.6 IMPROVISED DAY -即興の日-

出演:足立智美(ヴォイス、エレクトロニクス)、稲田誠(コントラバス)、江崎将史(トランペット)、角田亜人(MIDIギター、サンプラー)、菊地雅晃(コントラバス)、大蔵雅彦(サックス)
日時:1997年2月10日 19:30時
料金:1800円(前売) 2000円(当日)
会場:シアター・プー(新宿)

この回は各人のソロではなくセッション。神戸で出会った稲田、江崎の2人の東京公演をやりたくてたてた企画。東京の若手音楽家と様々な組み合わせで演奏が行われた。観客は約40人。

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