『プレスク・リアン』〜テープレコーダーの政治学

 モフセン・マフマルバフの映画『カンダハール』で主人公のナファスが持っていたテープレコーダーをあなたは覚えているだろうか?アフガニスタンに取り残され、自殺を急ぐ妹へのメッセージ。アメリカ人医師の言葉は聞き取ることさえできない。しかしそんなプライベートな言葉たちは妹には届かず、ある時パブリックな言葉へと変貌する。個人的なエピソードや思念がテープレコーダーを介して飛躍する。その瞬間。

 『プレスク・リアン(ほとんど何もない) 第1番』(1967-1970)は、リュック・フェラーリの代表作であるだけでなく、録音/再生テクノロジーが生み出した最も重要な音楽作品のひとつであることは間違いない。何が「ほとんどない」のだろう。音がない、わけではない。『海辺の夜明け』という副題を持ったこの作品は旧ユーゴスラヴィアはダルマティア諸島、アドリア海に面する漁村の夜明けの音で満たされている。遠くからわき起こる鶏の鳴き声、一日の始まりを告げる鐘の音、漁船のエンジン音。脳裏に見知らぬ土地の朝の情景が鮮やかにひろがる。「ほとんどない」のは作曲者の操作の痕跡。窓辺に設えられたマイクが拾った音がただただ続くように思える。いきなり目前から発車するトラックの音も生々しい。しかしあなたは気がついただろうか。呼び声をいろどる微かなエコー。そして背景からゆっくりとクレッシェンドし続ける蝉の鳴き声。そして唐突な休止。あなたは「ほとんどない」操作の痕跡をいつか認め、これらの音が作曲者の手で緻密に編集されたものであったことに気づく。その瞬間、それまでの聴取体験は劇的に変容を遂げ、ありふれた音の風景は突然、意味を逆転させて聴き手に迫ってくる。あなたが聴いていたのはドキュメントなのだろうか、フィクションだったのだろうか?
 『第1番』がひとつの街、ある社会を扱っていたとするならば、『プレスク・リアン 第2番』(1977)ははるかに個人的な空間を感じさせる。町はずれの草原をテープレコーダーを抱えて彷徨する作曲者。自らの行動をコメントするつぶやきにつられて、内的といっても良い体験に引き込まれるだろう。それにしてもこの間歇的な鳥のささやきは何だろう?いや電子音だろうか?そう思うと倍音の多い虫の鳴き声まで電子の軋みに聞こえてくる。その禍々しいまでの軋みを導入に、あなたは更に深い夜の光景に誘われていく。そこはさっきまでの野原での彷徨ではない。まったく個人的な想念の中へ。だがそれにしてもこのクライマックスは何事だろう。この電子音は何なんだ?目覚めというには余りに不愉快ではないか。夢なのか現実なのか。こうしてあなたの「複雑な頭の中で夜は続く」。
 この二作品には作曲者の操作が最初は周到に隠され、そして顕れる瞬間があった。しかしシリーズの第三作目にあたる『プレスク・リアン 少女達とともに』(1989)は冒頭、電子音のざわめきから始まる。その意味でこの作品はほとんど『プレスク・リアン』ではない。そして電子変調のメタリックな響き。しかし鳥のさえずり、雷鳴にもすぐ気づくはずだ。環境音は電子音の渦の中からゆっくりと立ち上り、突然ヨーロッパの峡谷の光景が繰り広げられる。と思ったも束の間、執拗なドラムマシーンの連打が視界が遮り、少女達の親密なささやきもリズムの波を浮き沈みする。環境音と電子音が、互いに干渉しあうことで地と図を交換しあい、時には役割すら変容させてしまう。これはイメージと感覚に対する絶えざる挑戦なのだ。

 フェラーリはこれらの作品を、音響がもたらす視覚的なイメージを軸に製作している。しかしイメージで統括された特定の世界像を提示することを目的としない。むしろ世界が提示され、それが崩壊したり変容したりするプロセスが彼の作品だ。大切なのはそのプロセスが誰にでも追体験可能である点である。おそらくは音楽的教養や聴取に関わる制度的なシステムにも依存しない。コンサートホールで聴いても自宅でヘッドフォンで聴いても体験の質は異なるにせよ同一のプロセスが導かれるのではないだろうか。これはケージすら、なしえなかったラディカルな試みだ。その背景にはフェラーリ特有のパーソナルな音環境への深い関心がある。

 その問題に深入りする前にミュージック・コンクレートの歴史におけるフェラーリの位置を簡単に確認しておこう。フェラーリのコンクレート作品を特徴づける、音素材の視覚的イメージの積極的使用は、ミュージック・コンクレートの歴史の中ではむしろ例外的存在である。ミュージック・コンクレートでは作品内の文脈において、音素材がどう鳴り響くかが焦点だった。例えば創始者たるピエール・シェフェールの著書『音楽オブジェ概論』。具体音の分類学と構造化を試みたこの本は、具体的な素材から意味をはぎとって音楽という抽象物にいかに組み込むかを模索したものだった。だがフェラーリの場合、主に電子音で構成された作品においてさえ構造化への意志はほとんど見受けられない。中でもこれら『プレスク・リアン』のシリーズは提出するイメージの明瞭さにおいて突出した存在だといえる。
 もちろん、そのようなコンクレート作品が他に存在しないわけではない。かつてはフェラーリの盟友であったピエール・アンリの『都市 メトロポリス・パリ』というテープ作品を思い起こしてみよう。パリの一日を追ったこの作品はアンリのコンクレート作品の中でも特に音の持つイメージ喚起力を強調した作品だ。パリに滞在したことのある人なら、朝の乾いた空気の持つ独特の響き、メトロのざわめき、そんなパリの経験がよみがえるのではないか。だが気をつけて聴いてみよう。例えば話し声が少ない。声はほとんどが群衆のざわめきかラジオ音声。個人的な空間を感じさせる話し声が極端に少ないのだ。そう思って聴いてみると、音楽的な展開を差し引いても、生活音と思われた音が実に抽象的に響く。あの路線のあの列車の音、あそこの家のイヌの騒音、ではなく既にカタログ化された日常音。子どもたちのざわめきも記号的に作用し別の子どもたちの声に交換可能なように思える。この作品はタイトルに端的に示されているようにパリに住人たるアンリが匿名的な近代都市生活をテープレコーダーという近代テクノロジーを使って再構成した作品なのだ。

 再びフェラーリに戻ろう。『プレスク・リアン 第1番』の素材は1967年のユーゴスラヴィアでの録音。東西冷戦華やかなりしころである。呼び交わされるこの言葉は何語なのだろう?この作品を耳にした人の一体どれだけがこの言語を理解できたのだろうか。セルボ・クロアチア語なのだろうか?今ではセルビア語とクロアチア語に分かれてしまった言語だ。そう考えると、のどかな音の風景がとたんに政治的な相貌を現す。『第2番』は一体どこの録音なのだろう?もちろん都市ではない。街からそう離れていないにせよ、かなりの田舎だろう。フェラーリのささやき、その背後には女性の影。一体どんなシチュエーションなのだ?『少女達とともに』にはトスカーナとアルザスの少女達が登場する。フランスとドイツの間で領有権争いが続いた因縁の土地、アルザス。ドイツ語が紛れ込んでいるのに気づいただろうか?牧歌的な光景から浮かびあがる秘かな文脈。

 いくつかのタイトルに移動や距離の概念が含まれることからも分かるように、フェラーリの素材の多くは旅する中でで録音される。オーストリア、ドイツ、ユーゴスラヴィア、イギリス、フランス、ポルトガルを巡る『音楽散歩』(1969) 。アルジェリアを主題とした『音楽的風景の中での交響的散歩』(1976-78)。近作の『Far West News』(1998-99)はアメリカが主題だ。今ならまだしも1978年の段階ではかなりのフランス人はアルジェリアの音を政治的含意抜きで聴くことができなかったのではないか。だがそんな予備知識が聴取体験にとって必要だとは思わない。フェラーリは土地が持つ政治性を敢えて作品から消去しているようにさえ思えるからだ。あからさまに政治性を放つ音、軍隊や政治演説の類は意外なほど出てこない。メッセージ性は希薄で、むしろ旅が持つ独特の親密さと孤独が作品を支配している場合が多い。フェラーリの音素材はあくまでプライベートな肌触りを忘れない。時には「性」という極めて私的な領域にまで踏み込む。しかしフェラーリはそこで個人の耳や身振り、身体の持つミクロな政治学を問題しているように思える。フェラーリが『プレスク・リアン』で仕組んだフィクションとドキュメントの交錯、音楽的知覚における地と図の転換は、プライベートなものの持つパブリック性、パブリックなもののプライベートな側面を見事に表していないだろうか?

 ところで、テープレコーダーという近代テクノロジー(もともと第二次大戦中の軍事技術と関係が深い)を抱えて、音を採集して回る姿を想像すると、民族音楽学者がレコーダーを片手に「未開」の地を訪れ、生活から音を切り離し、標本として持ち帰るような、ある種の高慢さが感じられないだろうか。フェラーリの作業がこの高慢さを逃れているとするならば、その関心がありふれた日常の微細な音に向けられるが故だろう。そしてその音たちは元来の力を失うことなく、イメージを喚起し続ける。
 彼のコンクレート作品から見えてくるのはテープレコーダーを抱えた孤独な旅人の姿である。しかしそのレコーダーからきこえてくるのは、社会に生きる個人がはらんでしまう、不可避な政治の刻印ではないだろうか?メッセージではない。本当に微かな、しかし強度に満ちた音の政治学に耳を傾けようではないか。


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