企画熱

 1994年から1999年にかけて、私は「音、あるいは耳について」と「音楽工作所」という2つのコンサート・シリーズを企画、制作していた。大学を出たばかりで当然活動場所なんてものがなかった私には自前で場所を借り、ワープロでチラシを作り、印刷屋で刷ってもらって配って歩く、そういう発表手段しかなかった(まあ、今でも似たようなものだけど)。でもそれは自分の発表のためだけではなかった。いろんな所に少しずつ面白いことをやっていた人がいた。そしてみんな発表場所がなかった。もちろん自分一人じゃ集客が見込めないから同じステージに立ってくれる人を捜す必要もあったのだけど、それだけじゃない、企画熱とでもいうべきものが当時の自分にはあったと思う。自分が興味ある音楽を他の人にも知らせたい。そしてそこからどういう出会いが起こるのだろうかと。
 当時も今もいわゆる「シーン」に溶け込むことのできない私はひとつの傾向を押し出すことに興味がなかった。私の企画では即興やサウンド・アートや現代音楽や楽器創作、音響詩など、音に関わる先鋭的な活動のあらゆる領域を渉猟した。しかも私が面白いと思ったものだけを。
 そう私個人の考えの中だけで、私のできる範囲だけで企画した。機動性を失わず、金銭的リスクを最小限に抑える。幸い赤字を出すことも一度もなかった。これは本当に大事なことだ。その範囲内で試せることはすべて試したと私は今でも自負している。
 では何故止めたのか?正直にいおう。そこからどういう出会い生まれたのだろう。そういう疑いが私を疲れさせた。即興音楽の観客と現代音楽の観客と顔を合わせたとしてもそこから新しい何かが生まれるなんて甘い考えだった。どちらもまず自分の領域以外に関心も持つことはない。いや、そんなことはない。たぶん何か起きていたのだろう。でもそれが形を現すには長く丁寧な作業が必要だ。それは私個人の領域を越えていた。私は企画することをやめて、ダンスやパフォーマンスの身体表現者たちと時間をかけた共同作業することに関心をむけることになった。
 そうこうしているうちに、今度はPlan B の企画に関わることになった。既に長い歴史を持つこのスペースで、その歴史に私も観客として何度も立ち会い、貴重な瞬間を見てきたこの場所で、移り気で焦点の定まらない私は何ができるだろうか。ちょっと期待している。  


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