仮構という方法  高松次郎展 1970年代の立体を中心に(千葉市美術館)

 高松次郎のように時代の流れに並走してスタイルを変転させてきた作家の場合、かけ離れた時期のスタイルの関連性を論ずるのは適切なやり方ではないのだろう。しかしながら70年代の『複合体』シリーズを考えるにあたって、その出発点を60年代前半の高松、赤瀬川原平、中西夏之による『ハイレッド・センター』の活動に設定したいと思うのは私だけだろうか。

 高松は自らの作品を系統付け一連のシリーズとして発表していた。よく指摘されるようにそのシリーズの分類には論理レベルの混乱が見られ実のところ適切なものとは思えない。例えば『紐』は形態あるいは素材を指し、『遠近法』はコンセプト、『弛み』は様態を指すというように。しかしそのことはたいした問題ではないだろう。時に並行して異なるシリーズの作品を発表することは彼が必ずしも内発的な必然としてではなく、操作の対象として作品を考えていたことを示唆している。これは高松が理性主義的なモダニストであったことの現れであって、このこと自体は非難されることではない。それ故に彼の作品の創作史からは変化し続ける芸術家の姿を読み取ることができれば、逆に戦略家としての通奏低音を聴き取ることもできるのである。

 『複合体』シリーズを語る初めにその最初の作品である、椅子、煉瓦、床による『複合体』(1972年、後に『椅子とレンガ』に改題)に注目しよう。ありふれた椅子の片脚に煉瓦が挟み込まれ、傾いているというだけの簡明極まりない作品であるが、その後に続く『複合体』シリーズのエッセンスのほとんどをこの作品から読み取ることができる。第一に世界に存在する物そのものではなく、物と物の関係が提示されているという点。高松の『複合体』は70年代初めの日本美術界を席巻した『もの派』の影響のもとに語られることが多いが、「もの」そのものの提示を目論むものではないという点で、『もの派』の大勢とは区別されなければならない。例外は菅木志雄であるが、素材自体の持つ世界との関係性(あるいは無関係性)に高松は無関心であるように見える。第二にその仮設性。椅子は決して絶妙なバランスとはいえないが、危うい位置にあることは直ぐに感じ取れる。軽く触れればバランスは崩れてしまうだろう。この状態は仮のものに過ぎないと思わせる。実のところこの仮設性は別のレベル、素材のレベルについてもいえる。これがこの椅子である必要はおそらくない。椅子である必要もおそらくない。事実、高松は同時期に同題で椅子を脚立に置き換えた作品を発表している。

 私がこの作品から想起するのは先に述べたように『ハイレッド・センター』の活動である。ここでは『フルクサス』などの国際的なイヴェント、ハプニングの運動と連動したこのグループについて詳しく述べる余裕はないが、例えば帝国ホテルで行われた『シェルタープラン』に代表される、後期のイヴェントは厳密なプロットと遂行によって特徴付けられていた。そこではさまざまな行為、例えば来客の体積を計ったり(『シェルタープラン』)、道路を雑巾掛けしたり(『首都圏清掃整理促進運動』)、がとり行われるが、その行為自体に何らかの意味があるわけではない。しかし行為が先立つプロットに従って遂行される時、何のためでもない「行為」が立ち現れていたのではあるまいか。一言でいえばそれはフィクションである。フィクション −現実に対する「虚構」ではなく、現実の中の「仮構」と考えたほうがおそらく正確だろう− とは何ひとつ語りはしないが、語り自体である。そこで問題になっているのは何を語るかではなく、語ること、そのものである。

 さきほど、私は高松の『複合体』を物自体の提示ではないと述べた。しかし物が関係の項としてだけ置かれている、つまり作家の素材への無関心が、逆に物自体を顕在化しうるという奇妙な逆説がここにはある。煉瓦と椅子の関係は「AはBの下にある」程度の言葉に置き換えられうるだろう(ついでに言えば床はAとBの下だ)。しかしこの概念自体を高松は提示しているわけでは必ずしもなく、見られるのは椅子であり煉瓦であり、具体的な何物かである。人為を超えた、あるいは人為と無関係な物自体を作品として提示することは不可能だし、それを目指すこと自体、素朴なイデオロギーに他ならないのだが、高松の素材への無関心は逆にそれを一瞬にせよ可能にしているように思えるのだ。そして、それは彼が『ハイレッド・センター』で培ったある種の方法論 −フィクションを作り上げることによって行為自体を顕在化させるやり方− の延長にあるように思われる。違いはそれが時間軸上に展開されるか、空間軸上に展開されるかに過ぎないようだ。

 「座れない椅子」、「登れない脚立」というような通俗的な異化作業と作品が見なされてしまうことへの警戒があったのであろうか、高松は椅子の『複合体』の後、椅子のような日常的な物体を用いた作品をほとんどつくっていない。素材はほぼ鉄、真鍮、紙などに限られてくる。異質な物質を不安定な構造で組み合わせ、仮構的な形態を現出させる方法論は一貫している。しかしそこには方法論の反復が陥る危険性が潜んでいる。素材が限定されることによって、素材そのものの持つ質感に作家は魅せられていったようだ。70年代後半の作品には錆びた鉄板が多用されるが、錆は素材を均質化してしまっている。また、素材の配置のバランスは作家の美的感覚に浸食されかねない。その意味でこれら『複合体』シリーズは残念ながら椅子による『複合体』を超えるものではない。

 最初の『複合体』のアイデアが正当に継承されているように思えるのはむしろ70年代後半から開始された『平面上の空間』シリーズの方である。単純な線と彩色がほどこされたカンヴァスのこれらの絵画は、淡い感覚を持ちながら、幾何学的な線で構造化されたものである。そこにあるのは線や面という抽象物の具体的な関係性だけである。単純な思考操作で描かれた線は、観る者に容易に読解されうるものであり、その単純さは結果的に絵画自体を現出させている。注目すべきことは、ほぼ同一の方法論が平面にも立体にも適応されているという普遍性である。

 しかし残念なことに『平面上の空間』に描かれた円弧もまた、作家の美意識の中でオブセッションと化し晩年の「エイのような」絵画群を産むことになる。肯定的でダイナミックなその絵画は、それなりに評価できなくもないにしても、高松の歩みを考えた時、それは悲惨でしかない。結局のところ問われているのは方法論のもとで、創造が如何になしうるかという、いくぶん素朴な、しかし基礎的な問題なのであろうか。

コメント:依頼されて書いた批評の第一号。若書きというのはこういうのをいうのか、分かりにくい。高松さん、編集さんご免なさい。


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