刀根康尚 〜今なお前衛であり続ける前衛の歴史

 先日、ドイツに演奏旅行にいったおり、30才代の多くのサウンド・アーティストに会う機会があった。彼/彼女たち、ヴィデオと声でたった数秒の衝撃的なパフォーマンスをおこなったヤンス・ブランドや風船鳴らしのジュディー・ダナウェイらについてここで紹介したいのも実はやまやまなのだが、今回は彼/彼女らが今もっとも刺激的なアーティストとして畏敬の念すら込めて語っていた一人の日本人の名前、刀根康尚について書くことにしよう。
 おそらく60年代の日本の前衛芸術を目の当たりにしてきた人々ならこの名前にある懐かしさを感じることだろう。刀根は1935年生まれ、現役芸術家として最も年長の世代に属することになるだろうか。しかし多くの前衛世代が何らかの形で保守化していくのとは対照的に刀根は今なお最も過激な芸術家でありつづける。しかしその現在の仕事に触れる前に、彼の歩みを追ってみよう。

〜「グループ・音楽」
 小杉武久、水野修孝ら芸大生による「グループ・音楽」はジャズとは異なる方法論を持つ即興演奏の世界的な先駆けとして1960年に始まったが、刀根は唯一、学外から参加、グループの命名者として理論的支柱となり、グループが当時ニューヨークで勃興しつつあったフルクサスの運動にリンクしていく原動力となった。フルクサスはJ.ケージの思想を下敷きにしつつも、あらゆるジャンルの芸術家が参画し、芸術と日常の境界を無化していくような運動であった。同時期にしかし無関係に日本でも同じような動きが始まっていたことは興味深い。「グループ・音楽」の貴重な録音はCD化されており、視覚的要素を欠いた不満はあるものの、そのユニークでヴィヴィッドな世界に触れることができる。その後「グループ・音楽」は小杉、刀根が中心となり、「読売アンデパンダン」展への出品、邦千谷舞踊研究所でのイヴェント、そして高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之による「ハイレッド・センター」やハプナー、風倉匠との共演など、当時の反芸術運動の中核を担うようになり、その活動は60年代末まで断続的に続くことになる。当然のごとく、当時の彼らの演奏は「演奏」という範疇にとどまるものではなく、さまざまなアクションを含む、あるいは音が二次的であるような場合もあったに違いないが、しかしそれを敢えて「音楽」という言葉で括ってしまうところにそのラディカルさが窺える。(余談だが「グループ・音楽」の活動を追っていくと、60年代初期の反芸術運動に果たした、舞踊というジャンルの重要性が浮かび上がってくる。70年代以降の土方巽の「舞踏」に回収されてしまった感のあるこの流れを掘り起こすのも面白いと思うのだが、それもまた稿をゆずろう。)

〜『年表:現代美術の50年』
 その後の刀根の仕事として注目されるのは、批評家としての作業であろう。現代音楽、現代美術からデザインまでを射程に収めた評論集『現代芸術の位相』(田畑書店1970)は復刊がなんとしても望まれる名著。事実、党派的無関心に覆われた現在の「現代音楽」批評などこの30年前の仕事の遙か以前で停滞しているのだから。そして『美術手帖』誌上で展開された60年代芸術の総括作業。1971年10月号での特集を足がかりに、1972年4月、5月号に掲載された『年表:現代美術の50年』は、60年代芸術年表でありながら東郷青児の『パラソルをさせる女』(1916年!)から始まる長大かつ破格の年表で、あらゆる芸術ジャンルはもちろんのこと、風俗、政治、そして膨大な関連文献の引用と、日本のアヴァンギャルド芸術が幾多の変容を経ながら万博に収斂していく有様を捉えた超一級の資料。個々の文脈を解いた上で年代順に並べるという、なかば啓蒙的といってよい作業をあえてこの時期に刀根が行ったのは60年代芸術との訣別の辞とも受け止められるが、例えば私はたまたま開いたページで『荒野のダッチワイフ』と小川伸介の『圧殺の森』、そして赤瀬川原平が美術を担当した笠井叡の『舞踏への招宴』に同じ67年10月という日付が与えられているを見つけて驚きを禁じ得ないのである。この年表は美術家、彦坂尚嘉との共編であり、その彦坂、堀浩哉らによる美共闘にも参加するなど刀根の活動は明確な視座を保ちながらも世代やジャンルを完全に越えたものとなる。

〜『MUSICA ICONOLOGOS』、『SOLO FOR WOUNDED CD』
 直後、1972年に刀根はニューヨークに渡る。ここにいかなる事情があったかは不明だがその後に刀根の個人名義による創作活動が本格的に始まったようである。即興演奏家グループを指揮するブッチ・モリスの「コンダクション」の記念すべき第一作『CURRENT TRENDS IN RACISM IN MODERN AMERICA』(1985)には即興ヴォーカリストとしてフランク・ロウ、ジョン・ゾーン、クリスチャン・マークレーらそうそうたるインプロヴァイザーに交じって参加しているし、またフルーティスト、バーバラ・ヘルドの『UPPER AIR OBSERVATION』(1991)にはエレクトロニクスを伴ったコンセプチュアルなフルート曲を二曲提供している。しかし視覚的要素を伴ったインターメディア作品を主とする刀根の作業が我々の目の前に現れたのは『MUSICA ICONOLOGOS』(1993)と『SOLO FOR WOUNDED CD』(1996)という衝撃的な二枚のCDの登場による。
 『MUSICA ICONOLOGOS』は一聴したところ全編に渡ってただただ不可解なノイズが続く作品である。情報理論では不可解な音のことを「ノイズ」と呼ぶのだが、ここで感じるのはまた異なる事態である。例えばいわゆるノイズ・ミュージックがホワイト・ノイズを含めノイズを音響として最終的には音楽的な意志、美学のもとで統制するのとは異なり、この作品からそのような音楽性を見て取ることは不可能なのだ。ライナーノートによればこの作品は中国最古の詩集『詩経』から二つの詩を用いてつくられている。詩の漢字を一文字づつ関連する画像に置き換え、その画像を更にデジタル・データとしてコンピュータに読み込ませ、そのデータをサウンド・データとしてCDに焼き付ける。古代の詩がさまざまなメディアに移し替えられ、CDプレーヤーによって再生されるまでが一貫したプロセスとして作品化されている。最終的な音から出発点の詩の何物をも読みとることはできないが、しかしそれは明確に関係づけられている。結果として我々の耳に届くのは全く無意味な音そのものなのだ。いかにその音響が例えば「音響派」の音に近づいているとしても、正弦波を用いて音そのものであると称するような素朴なフェティシズムとは全く異なるものである。今世紀の電子音楽史を見回しても、ごくごく初期を除けば、そのほとんどが既成の楽器の音響をそのモデルにしていたか、少なくとも聴取と音とのフィードバックを前提にしていたことを考えれば、これは画期的な作品といえるだろう。
 続く『SOLO FOR WOUNDED CD』は更に衝撃的な作品である。これは端的にいって前作の『MUSICA ICONOLOGOS』にもう一つプロセスを付け加えただけの作品である。『MUSICA ICONOLOGOS』のCDにテープを貼り付けてプレーヤーで再生したものがもう一度CDに記録される。結果、デジタル・エラーの連鎖によるノイズが延々と続くのである。これはクリスチャン・マークレーがジャケットに入れずに流通させた『カヴァーのないレコード』のデジタル・メディアにおける同等品である。おそらくこのCDの正しい聴き方は更にわれわれ自身でCDにテープを貼り付けてプレーヤーに挿入してみることであろうか。
 現在、刀根は『万葉集』に基づくCDRで500枚以上という作品を制作中と聞く。その刀根が来月、日本では渡米以来初めてというコンサートを行う。CDでは聴くことができない視覚的要素を含んだ作品も演奏される。刀根との共演もしているジュディー・ダナウェイは彼のことを一言「メンター!」と呼んだ。まさに刀根は時代を越えて 我々を刺激し続ける「良き指導者」と呼ばれるにふさわしい。  


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